あたしはいったい何のために、誰のために、どんな常識や取り決めに基づいて自分の言葉を制限してんの? そんな簡単なことができないなんて生きている意味ある? 自分の言葉くらい、自分の責任でつかいなさいよってこと。ぼんやりとずっと眠い。眠いからか? ちがう。今日はちゃんとやるべきことを最低限やれたのでよかった。
渋谷で用事を済ませて歩いて帰ってきた。代々木公園を通りかかると葉っぱの雨粒が光っていたり、みずたまりに空が写っていたりしてきれいだった。風が吹けば葉は落ちるのだなと当たり前のことを思った。
帰ってくるとポストに封書。ビリビリ破って開封しエレベーターを上がる。あー人生、とこぼしながら家に帰ってカーテンを閉める。ちょうどイヤホンから聞こえてきた「庭で死んでいた蝉を見ていつか一人になると知った」のフレーズ。押し入れの奥にしまった契約書類を探していたら急にしんどくなって段ボールに突っ伏して泣きそうになる。そしたら次は「泣いてはいない、泣いてはいない」って流れてきて、ああ、ああって。「泣いてるだけの君 言葉で今繋げるから」「どこへ行こう どこへ行こう」「イメージしよう イメージしよう 自分が思うほうへ」。畳み掛けるようにひとつひとつの歌詞が響いてしまって大変です。
それなのにわたしは一向に部屋の隅で蹲るしかできなくて、もう目も耳も塞いでこのまま誰にも見つけられない星になれたらいいのにって。こんなどうしようもないことばかりこぼしてほんといやになっちゃうな。大丈夫、昔からこんな日もあったし。小山田壮平も言っていた。「幸せなときはこの上なく幸せなんだ。ただ、基本はくるしい、というのが人生なんだ、と今は思う」。あしたはどうだろう。みんな元気だといいな。おわり。
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