まっしろな月を探して

いつもあたしが笑っていると言うけれど、それはちがうよと歩きながら思っていた。あたしはひとりでは笑顔になれないしうれしー気持ちにもなれない(たのしくはなれるけど)。そうだそうだ! みんなが笑わせてくれているのだ! と当たり前のことを世紀の大発見みたいに気がついて口元がもっとゆるゆるになってしまった。そう思ったときに、やっとわかったような気がした。ふざけんな!と怒っていた(まじでなんで?って感じだよね)「笑っていてほしい」の気持ちが。あー、あたしもみんなに笑っててほしいわ。あたしが笑っていて笑ってくれるならいくらでも笑うよって思った。
顔をあげると雲に隠れながら月が見え隠れしていた。今日は月を探して家を飛び出したんだった。月が見えるからここに座ったわけではないのに、あまりのぴったりの位置と、ほんとうにちょうど厚い雲から覗いた月がまっしろでとってもきれいでうれしくなった。
この街を歩いていると、いろんな日のあたしが重なる。スーパーからの帰り道、おんなじグリーンラベルを片手に「あたしの街」って鼻の奥がひゅんとしたことも、たくさんの星を見つけてはしゃいでいた銭湯の帰り道も、もうなんでかは忘れたけど寒空のなかアイスを食べながら階段にずっと座っていたときのことも。商店街のサトちゃん、パンダ、マクドナルド、毎週のように通ったグリーンカレー。あー、あたしはあたしの気持ちひとつで笑えていたことが笑えなくなるし、話せていたことが話せなくなるのがつらい。つらいなーって思っている。
この前友達と話しながら、ひとつひとつちゃんと進んでいることに気がついた。ぜんぶ終わり、永遠なんてない、だって最後はみんな死ぬしって、それなのになんで人々は一緒にいるのかって意味わかんなくなったり、それはそうだよと、すこしでも長く続けることに意味を見いだしてみてもいいんじゃん?って思ったり、それって意味ある? そこにまじのこころはあるんか?って思ったり、忙しすぎないですか? さすがに…。だから正直もう過去も未来も信用ならない。あるのはここにいる、グリーンラベル片手にただスマホをバチバチ打っているいまのあたしだけ。いまのあたしの気持ちならいくらでも純度100%で伝えられるのにねって、それ以外のことってなんのためにある? みんなはいったいなにを求めている? あたしにもそれがわかるときが来る? まー、それはきっと未来のあたしが教えてくれるね。

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