延々ってこういうことなんだって思った。何時間も歩き続けているのに、いつまでたっても雨に濡れた道は続いていて、足は止まりそうにない。ひとつひとつの言葉が、来た道にしるしをつけていくように置かれていく。あまりにたくさんの言葉があったからいっぺんには思い出せそうにないけれど、あたまの中で道順を辿るだけで、小さな言葉の数々を思い出せるような気がする。生きているだけで、みんなたくさんのことを抱えている。いま目の前にある光がいちばんじゃんって思うけど、それを知っていてもなお、抱えているたくさんのことを知りたいし、聞きたい。それがうれしいなと思った。
家に帰ってきて、封筒を探した。何を書いたかは覚えていないけれど、帰ってくるやいなやメモ帳に言葉を連ねてメモをちぎり、なぜだか封筒に入れてしまい込んだときのことを鮮明に思い出せる。記憶に残っている言葉や感じたこと、その夜以前に考えていたいろんなこと、そのときのあたしのこと。文章は行ったり来たりで、ほんとうに勢いだけの走り書き。そのいちばん最後に、今年の夏にあたしがやっと辿り着いたことが書いてあって笑っちゃった。
「いつだって人生は始められる。何が大切かは今の自分が決めればいい。明日の自分が、一年後の自分が、なんどだって決めればいい。なんにも惜しいことなんてない。おわりなんてことはない。ずっとあたしは、あたしのからだで、あたしのあたまで、あたしのこころと生きていくのだから」
気付いてたんじゃん、このときに! なんだったの、今年の夏! わかっていたことを、なんどもなんども繰り返し確かめて、うんうん、やっぱりそうだよねって結局おんなじ淵にいる。直感はいつだって正しいし、あたしが感じていることはいつだってあたしにとって正しい。大丈夫じゃん。
リボンが解かれた日記。どんなときも拭いきれないよりどころなさを抱えて、東京を彷徨ってきたこれまでのあたしの日々のこと。取り繕うでもごまかすでもなく、自分の気持ちに気づかないふりするでもなく、だれかにすがるでもなく、ただただここにいていいんだって思えるような気がしてうれしかった。
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