物語の中のペーパー・クリップみたいに

パンパンのARC'TERYXと、文庫本がすっぽり入るサコッシュ、充電がなくなる心配のないイヤホン。いつもいる場所との距離が物理的に離れていく。空っぽになって一人きりになっていく。
一日中電車を乗り継いで、本を読んだりうたたねしたり、通り過ぎる情景をノートに書いたりしていた。パタパタとなびく布団や田んぼで収穫するおじさん、学校に向かう中学生、青々とした雑草、電車を待つ人、グラウンドで練習をする野球部、おっきな川と橋、太陽の方をいっせいに向いている向日葵、水浴びをする犬。
持っていく本は決めていた。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」。思えば10年の月日が経っていた。たくさんの付箋から、当時の目線を辿る。いまでも付箋つけるだろうなってくすっと笑える部分も、どんな気持ちで付箋をつけたのかよくわからない部分も、新たにしるしをつけたくなる部分もあった。初めて読むわけじゃないぶん冷静で、なんでずっとこの本が大切かがすこしだけわかる気がする。たぶん、心や意識について考えることや、物語や言葉の中に散りばめられている世界の根本や本質に中学生だか高校生のわたしはドキドキしていたんだなって。あー、もしやそこから? たとえば物語の中のペーパー・クリップみたいに、日常の些末なものやくだらないことに意味合いをつけてあそんだり、そこから本質を探ってみたりするようになったのは。えー!そうかも!そうかも!って思いながら、荷物をかき分けて下巻を取り出したところ。
だってくだらないことが本当にくだらないだけなら、14時間も電車に乗り続けるなんて正気の沙汰じゃない。くだらねぇの中でしか見えてこないことがきっとある!絶対意味のあるものにしてやる!って祈るように? まだまだ着かない今日の着地点のことを思ってる。

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