「まぁ、間違えてもここからだ」

前に、友達と話していたことがある。「もし自分が罪を犯したらどうする」なんて急に聞かれたもんだから。ただ淡々と「そうせざるをえない何かがあったんだろうなって思うよ」って言っていて、あまりの淡々さに自分がいちばん驚いていた。人にはいろんなきっかけがあるし、それは良いとか悪いとかは抜きにして、誰にも理解のしようがないことかもしれないし、誰にだってそうなる可能性があることを知っているし、自覚している。だから、「だからって何かが変わるってことはないよ。教えてくれなかったのは悲しいけど」って付け足した気がする。

「MIU404」でいう“スイッチ”もそういうことなのかなと思って見ていた。誰の手の中にもあって、その人にしかわからないタイミングで、悪いことも良いことも、いろんなスイッチが押されていく。そこにこれほど焦点が絞り込まれたドラマに出会ったのがはじめてで、毎回ぐうっとこころの中の何かを押されているような気持ちになっていた。

ずっとこころに残っているスイッチがある。話すようなことでも、それで救われるようなものでもないし、きっと一生、そういうのって拭いきれないんだと思う。誰かの言葉とか、作品の中のそういう片鱗に触れてふと目の先が暗くなるようなこともなんどもあるし、きっとこれからもあると思う。だから、うれしかった。よかった、と思った。最後にちゃんとその先が用意されていて、よかったと思えた。


「毎日が選択の連続。また間違えるかもな。まぁ、間違えてもここからだ」

窓に反射する電球を見ながら、頭の中で志摩の言葉を反芻する。間違えてもここからだ、間違えてもここからだ。どんな気持ちを抱えていたって、いつだって、何回だってゼロ地点から始められる。なにも言っていないようでも、ちゃんと今日書けてよかったと思う。

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