ひとりだけど、ひとりじゃないからね。
昨日、出来立てであちあちのおもちを容器から取り出しながら、またひとつできるようになっちゃったなと思った。なんでこんなにおもちにこだわっているかはわからないんだけれど、わたしの家族はみんな年末年始が大好きで(大晦日にはたくさんお刺身とかお菓子を買っておじいちゃんちで過ごしていた)、30日にはおばあちゃんが仕込んだおもちをみんなで丸めていたのです。そのうち、ひとり上京して、ふたり上京して…… ってしていく中でも年末年始にはおもちを送ってくれていたのだけど、それももうおわり。お誕生日のお祝いをせっかくなら意味のあることに使いたいと考えていた時に、これしかないなと思って。文化の継承です。
濡らした手で触ったおもちは本当にあちあちで、ぎゃあと思った。昔やっていた手順を思い出しながら小さくちぎって、ひとつひとつ丸めていくと、どんどんきれいな丸になっていってうれしかった。思えばひとりで過ごす年末年始ははじめてで、手持ち無沙汰さにどぎまぎしているような、どきどきしているような、ふわふわとした気持ち。だから、こういう小さなことでも自分で感じ取れていることに安心するのです。
思ってもみないような一年だった。ずうっと苦しかったような気もするし、ずうっとわくわくしていたような気もする。端から見たら理解できないようなこともしてしまったし、もう随分前から絡まっていた糸を解いていくのに長い時間がかかってしまった。ふとした瞬間に訪れる闇を振り払うように、できるようになったこともたくさんあるぞ、と自分に言い聞かせている。
一番は、自分の気持ちを自分の言葉で伝えられるようになったことと、ちゃんといろんなものを選べるようになったこと。思ったことは時間がかかってもちゃんと言葉にしようって思うようになったし、なんとなく、で引越しのたびに持ち歩いていた荷物はずいぶん軽くなって、優柔不断なこのわたしが一目見て部屋を決められたのは自分でもびっくりだった。そんなふうに、伝えたり、選べるようになったりは、自分の中でこうしていきたいっていう指標とか大切にしたいことが見えるようになったからなんだろうなと思う。でもそれができるようになったのは、いろんな人の言葉のおかげ。今年は、いろんなタイミングでかけてもらった言葉をたくさん思い出せる。思い出すだけでうれしくなるような言葉も、安心するような言葉も、元気になるような言葉も、何かを気づかされるような言葉も、ずっと忘れたくない言葉も。ひとりで素潜りばかり繰り返していた昔とは違うのだ。だってたくさん歩いて、たくさん話せるようになったからね。
「ちゃんと」をちゃんとやっていく。言葉でそれを教えてくれた人。たしかにいろんなものを手放した一年だったけれど、その一方で、ぎゅっと握りしめて放したくないものが今ちゃんとあってよかった。もうこれ以上心を揺さぶられる音楽には出会えないのかも、なんて思っていたのに、また出会えてしまった。きっと来年もまたそんないろんなものに出会うんだろうし、やってみたいこともできるようになりたいこともあるし、楽しみなこともたくさんある。「イメージしよう イメージしよう」。そう口ずさみながら、もっと遠くにいける気がする。ひとりだけど、ひとりじゃないからね。
今朝はとっても良い天気でうれしかった。おもちをすこしあっためたらもちもちになってたのしかった。泣かない。みんなそれぞれに、どうかよいお年を! そう願っているよ。
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