自分で自分の風に乗って

自分で自分の風に乗って。
いろんな思いがつのる帰り道だった。

気づかれないまま、いろんなことが埋められていくのはとてもさみしい。でもたしかに、そこにはいろんな感情を抜きにしても、確実におもしろいものがあった。それが救いであり、わたしはぽっとなる。それをどうにか伝えられたらいいのに、きっとなかなか分かってもらえはしないだろう。なんてったって100%いろんな感情を抜きにすることはできないからね。だってそれもこれも、あれもどれも全てが感情だものね。
わかる人だけがわかればいいという言葉について今まで特に何とも思ってこなかったけれど、それはやっぱり間違いだ。だってわかってもらったほうが、わたしもあなたも豊かになるはずなんだし。それをほぼ暴力的にお互いに突き放しあうのは違う。突き放しあう、はいいすぎだけれど、生きている限り、誰かと交流している限り、お互いにきっと歩み寄るべきだろうなぁと、考えに考えた末、つまらない着地をしてしまった。

基本的に音楽を選ぶのが苦手になっていく。考えごとをしていると特に、悲しいから、悲しい歌を聴くっていうのも違うし、楽しい歌を聴いて楽しくなるのも違うように思える。全ての選択に意思が介在していて鬱陶しい。だからいつも聴いていたものを再生するしかできない。もしくは不用意に心を揺さぶらないものを選択するしかない。二つの意味で最近ずっとスーパーカーのままだ。聴かなければいいのか、と今頭をよぎったけれど、それはできない。考えることは、孤独なのだ。そして、考えることは、縋ることだ。誰に、どこに、何に。

そういうとき、わたしはよく言葉に縋る。歌詞に、文章に縋る。
自分で自分の風に乗って。

守られたらいいのに、なんて烏滸がましい。自分だけでもこんなに精一杯なのに。
でもやっぱりそれでも、力になりたい。守りたい。おかしいことなのかな。
結局はあなたもわたしも自分で自分の風に乗るしかないのにね。

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