さて、

最低、不幸、悲惨、悲しみ、
そんな言葉ばっかり帯に並べ立てられていたからどんなもんか、と読んでみると全然ちがう。
西村賢太「小銭をかぞえる」
普通に考えたらたしかに最悪最低なのかもしれない。いや、どう考えても最悪最低だ。けれど、そこに見え隠れしている、深くお互いを可愛がる気持ちにどうしても胸を打たれてしまって、しまいにはわたしも心底可愛らしい、愛おしいとさえ思っているのである。どうしたものかね。帯や台詞、本文、そこらじゅうにあふれる言葉とは裏腹の、二人の間に流れる空気を思う存分吸い込んで、ひとり愉快で幸福な気持ち。

なにが「さて、」だよと駅のホームで吹き出してしまった。

さて、といえば太宰治。
「恥しい思い出に襲われるときにはそれを振りはらうために、ひとりして、さて、と呟く癖が私にあった。簡単なのだ 、簡単なのだ、と囁いて、あちこちをうろうろしていた自身の姿を想像して私は、湯を掌で掬ってはこぼし掬ってはこぼししながら、さて、さて、と何回も言った」 
こんなにたったの二文字で変わるものかね、いや、本質は変わらないのかもしれない。さて、さて、さて。今まで当たり障りのなかった二文字の逆襲だ。これからきっとわたしは「さて」と書かれてあるたびににやりとしてしまうんだろう。

本を読むのは本当に楽しい。そしてそれが素晴らしい本だとさらに楽しい。ページを繰るのが愛おしくって、でもなんだかそんなのが悔しくて、終わるのが寂しくって。

本が好き。
また心がぽっとなった。

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