メガハイボールの、続きの話。

最近、ただ音楽を聴くだけができるようになった。テレビでもラジオでも本でもなく、ただ音楽を流している。いろんな雑音が消えていって自分の行動一つ一つを意識的に行えるようになる。動画を見ながらご飯を食べるとかは意外と向いていないのかもしれない。やるけど。それと一緒で、一人でお酒を飲むのも楽しめるようになった。いろんなことに対する“手持ち無沙汰”感がなくなったのかもしれないと思った。(ちなみにわたしは手持ち無沙汰のことを考えるとき、だいたい手持ちぶたさんのことを考えている)

きのう、友達から連絡をもらってすぐさま返信した「今日飲みいく?」の言葉。こんなふうに誰かを誘うのは久しぶりでこういう気軽な誘い誘われが好きなんだったと思い出した。まあ今回は特になんとなく今日の方がきっといいなと思ったからなのだけれど。

でも、21時過ぎに仕事を終えて家を出るとどこもかしこも閉まっていて、「ああ、これが緊急事態宣言…」と思った。寒い寒い言いながら友達と合流して、ただ歩いていた。お腹が空いて口に放り込んだファミチキ。右往左往歩き回って結局行き着いたのはやっぱり公園だった。その滑り台の上に立って、何かを制した気持ちになったのも束の間。寒くて寒くて、あまりの寒さにややうけ。友達の話を聞いたり自分の話をした。メガハイボール片手に話していた内容の、続きの話。いろんな続きがあって、ぜんぶ人生だなと思った。

さすがにお互いのことを知りすぎていて、別に伝えたいようなこともなく、話しているのに話していないようだった。自分の口から出てきた言葉にいちいち驚くような。たとえば「お前はいつからそんな厭世的になったの」と言われて自分でも驚いてしまうほど。その友達は香川で集合した夜からだと言っていて、よくわかっているなと思った。去年の夏を境に、いろんなことがほんとうに気にならなくなった。もちろんそれ以前が気にしすぎな部分はあったのであくまで従来比だけれど。「こうあるべき」はすべてそうあるべきことはないし、なんだって突き詰めていくとまじで自分の気持ちひとつ。どうにもならないことなんてないし、だいたいのことはどうにかなるならないではなく、自分で決めるしかないのだと。

いろんな人の話はなにやら遠くで繰り広げられていて、わたしはというとそれをぼうっと眺めたり違うことを考えているだけ。だから、たまに外に出てはお店が本当に閉まっていて普通に驚くし、80を超えたおじいちゃんが会見で逆ギレをしていてもなんとも思わない。社会と距離を取ろうとしたときのことはなんとなく覚えているけれど、それ以前をどうやってやり過ごしていたかはもう思い出せない。名を上げたいとか、あれやりたいこれやりたいとかも、スーッと今はまったくなくって、じゃあ一体わたしには何が残っているんだろうと思う。だから、なんで生きてるんだろうとふとひとりの部屋で思うし、ぼうっと音楽を聴いているだけをできるようになったんだろうとも思う。その根本にあるのは、純粋に自己肯定感が増したとかそんな、ありふれたことなんだろうけれど。

そんなあれこれをひっくるめて、「どうでもいいんだよね、正直」。ということを素直に言ってしまえることがありがたかった。それを力なく笑ってくれるのがありがたかった。

でもまあいつも通り、めんどくさいだのうるさいだの言いながら、でも確かにすこしだけ友達が元気になっていたようでよかった。わたしは結構冷たいし、こころもないし、正直ぜんぶどうでもいいと思ってはいるけれど、それでもいいならいつでも話を聞くよと言った。「だってあたしにできることなんてないんだよね」と言うと、それでもいいのだと言っていたのできっといいんだろう。いろんな話を聞いたり、相談らしき相談を受けたり、愚痴を聞いたりしながら、だいたいあたしは「わたしにできることはありませんが…」と思っていることをずっと、薄情だなと、わたしはわたしをかなしんでいたので、それをこぼせてよかった。

久しぶりに飲んだグリーンラベルは、寒すぎる空の下で時間が経ってもキンキンでおいしかったから、つい今日も飲んでしまっている。今日は、お風呂を沸かして湯船で文字を打ったりもした。こういう日もあるのかと、最近はいろんな毎日を発見している。それがいまはすこしだけたのしい。お風呂から上がって、二本目のグリーンラベルを開けた。流しているのはミツメ。まじの打ったままの文章で今日はいいやって感じ。

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