「たくさん抱えていたい 次の夏には好きな人連れて」
あした少しでも起きるのがたのしみになるように、食べてみたかったいちごのグラノーラを買ってみたり、祝日の昼下がりに台所に立ってオレンジをむいてかじったり。ふらふらと歩き回ってはスーパーをはしごしたり、お花屋さんでミモザのきいろにときめいたり、そんなことはずっと続けていけそうなのに、ふとした瞬間に隙間からこぼれ落ちてしまいそうになることがまだたくさんある。
たとえばまだぽつぽつ残っているちょっとした改姓手続きにいちいち落ち込んでしまうし、笑い飛ばしてくれた友達の言葉がずっと引っかかっている。でもその一方で、これまであたたかい人たちを見ると家具屋さんで急に泣き出してしまったりすこし目の先が暗くなったりしていたけれど、蟹座の友達のうれしい報せが本当にうれしくて、ずっと心の奥がぽかぽかしていたりする。こんないろんな気持ちをずっと続けていかなくちゃいけないかと思うと先が思いやられて、これからに自信が持てない。ひとりで気ままに生きていくしかできないような気もするし、わたしはやっぱりたくさんごはんを作ってだれかと食べたいという気もする。祝日の朝におにぎりをかじると海苔の音がした。いぶりがっこの音もしたし、お味噌汁をすする音もした。窓から入ってくる光が暖かくて、すこし泣きそうになった。
ここまで書いたところでちょうどピンポンが鳴って、手渡されたあったかい気持ち。いつもわたしはひとりでこぼれ落ちそうになっては、こっちだよと手を引いてもらっている。なかなか大丈夫にはなれないけれど、大丈夫かもしれないと思った。ちゃんと光の方にすこしずつ歩いて行けば、いつかきっと、いろんなことが大丈夫になるかもしれないって。だから、いつか月までバカンスしようね。光の方にいっしょにいこうね。
カネコアヤノ「光の方へ」
0コメント