「すべての夢には続きがあるぜ あの希望には必ずパート2があるぜ」

2月27日

「続けていればよかったかな」とすこしでも思えるのは、回復した証拠だと思うことにした。いまは当時ではないから、そんなのんきなことが言えるのだ。なにが正解かわからなかった、つくっているものが良いものなのかさえわからなかった、ただがむしゃらに、できることをやるしかできなかった。ハードルをどんどん上げ続けていたのは他ならぬ自分で、その結果追い込まれていっていたのも自分だった。頭がまわらず文章さえ書けず、ぽんぽん浮かんでいた見出しもはまらず、ずっと気持ちが悪かった。

そんななかで創り出したものが、いろんなひとに認められたのに、それをもういっしょに喜ぶことはできない。あーあ、と思う。思うけど、もうどうしようもなかったとも思う。

この半年間はなににもかえがたく、まったく予想だにしない淵にいる。見える世界も変わったし、考え方だってもうおなじではない。それが結果的に良かったのか、わるかったのかはわたしが決める。良かったにするために、わたしはもっと強くなるしかないのだ。込み上げる気持ちを押し込めて、届いたLINEを非表示にして、泣かない、と手にぐっと力を込めた。

あたりまえじゃん、あたしがまじの死ぬ気でつくったんだもん。良いに決まってる。不安は確信に変える。あたしはずっと「逃げた」と思っていた。でももうそんなこと言わせない。あたしはできる限りを尽くしていた。やるべきこともやりたいことも手を尽くしてやった。でもまだ足りなかったから、今があるのだ。


3月5日

ふと「音楽や漫画や本はいくらだって聴いたり読んだりしたほうがいいよな」と思って漫画をまとめてダウンロードして、湯船で読み始めた。週末よく歩いてツタヤまで行ってめちゃめちゃにレンタルしていたなあとか、一人暮らしをしていた頃ちいさな湯船でよく泣きながら音楽を聴いていたなあとかそんなことを考えながら。

「日記は今書きたいことを書けばいい 書きたくないことは書かなくていい ほんとうのことを書く必要はない」「この先誰があなたに何を言って 誰が何を言わなかったか あなたが今何を感じて 何を感じないか たとえ二度と開かなくてもいつか悲しくなったとき それがあなたの灯台になる」

やっぱり惜しみなく読むべきだなと思った。世界にはたくさんの言葉があふれていて、あたしのタイミング次第でどの言葉もわたしの光になりうるのだなと思った。

ヤマシタトモコ『違国日記』


3月11日

つくりたいごはんはいろいろで、三食じゃ追いつかないような毎日。お昼のお好み焼きはきれいに焼けて、手作りのソースの上で鰹節が躍っていてわたしまで踊り出しそうになったし、あしたのお弁当にうまうま煮物を持っていこうとつくってみると、家じゅうぽかぽかになっておなかがすいてくる。ひとりでフライパンに向かいながら、食べたいものをなんでもつくれる自分がたくましく、誇らしく、すこしさみしいような気持ちになる。

実は、ここのところずっと「最近好きになった音楽を」という言葉にうろたえている。好きな音楽を好きなように、延々聴いていられるようになった一方で、果たしてわたしはなにか進歩しているのかと。影響を与えてくれたいろんなものもののことばかりで、わたしは本当にわたしの足で歩き彷徨えているのかと。最近好きになった音楽?と思って、いろんな音を聴いてみた。前だったらぜったい受け付けなかったサブスクのレコメンドだって愚直に聴いてみたし、よくみかけるアーティストの曲だって真面目に聴いてみた。でも、いくら聴いてみても敵わないのだ。ライブを見てぐっと引き込まれたり、想いや信念を知って共感したり、小難しいこと抜きにしてなりふり構わず楽しくなったり。そんな明らかな“はじまり”を、わたしはどんなときも、どんなものにも求めているのかもしれない。

きっとわたしは、いろんなきっかけで聴き始めたスーパーカーやクラムボンやフィッシュマンズも、5年前から大好きなカネコアヤノも、それよりももっとずっと前から愛してやまないandymoriも、ずうっと聴き続けるんだろうと思う。わたしだってこんなわたしのこと、あーあって、同じ曲ばっかりでつまらないなって思う。でも、いつかくる新しい“はじまり”に備えているだけなんだよね、今はきっと。

そんなことを考えていたら、たのしいPodcastに出会った。世の中においしいものはたくさんあるし、物語もたくさんあるんだなって思い出した。自分でつくるごはんは親ばかみたいな「好き」だけど、出勤日に食べる定食も慣れ親しんだファストフードも、赤提灯の焼き鳥もお休みの日に食べ歩く甘いものも、特別な日の焼肉も、なんでも大好き。たくさんのものを食べてみたいし、知らない物語をもっとちゃんと掬い取っていきたい。好きな曲ばかりを聴き続ける、うちに向かっていくわたしと、知らない世界に興味津々な外に向かっていくわたしがひょこひょこと交互に顔を出して自分でも笑ってしまう。

なにかつくりたい。なにをつくろうか? わたしがわたしだけでできることってあるんだろうか? わたしの足で歩き彷徨ってみたい。好きなだけ彷徨えばいい。おいしいものや、きらきらしたものを求めて、なんでも見たり、きいたり、たべたり、書いたりしてみればいいよねって思ってる。


3月12日

夜中に焼肉屋さんに行きたい、休みの昼間から日高屋や王将でお酒が飲みたい、大好きな焼き鳥屋さんに行ってべろべろになりたい、本の貸し借りをしたい、適当なご飯をもりもり食べたい、いつだってぼうっと物思いにふけりたいし、強要も干渉もされたくない。わたしはいつのまにこんなにわがままでめんどうになってしまったのか。わたしはこのままずっとこんななのかなと不安になる。いろんなことがどうでもいい気がしていたけど、ぜんぜんそんなことないなと思ってうけた。新宿駅京王線の地下街を通り過ぎるだけでだめだめになってしまうし、小耳に挟んだ情報だけで世間話的にかけられた言葉にいちいち傷ついている自分がしょうもない。けがしたときと同じように胸も物理的に痛めばいいのに。それで乾いたらかさぶたになってわかりやすくはがれればいいのにね。帰ってビールを飲む。


3月16日

パチンとふいに破滅スイッチが入ったことを察知したので、最近は限りなく意識をなくして毎日をすごしている。それでもやっぱり、思い出したくないような四角い窓や大きな川、いろんな瞬間のことをわざわざ思い出してしんどくなったり、アスファルトにスマートフォンを投げつけたくなったり、想像力で自分の存在をシュッと握り潰したりする。蹲って助けを待ちながら、誰とも連絡をとらないのがいちばんいいと知っている。いままでの自分とこれからの自分がわからなくなって、これまでどうやってやり過ごしてきたのか、なんにも思い出せないくらいわたしは薄情だなと思う。

「すべての夢には続きがあるぜ あの希望には必ずパート2があるぜ」

一生なんてあるわけない。でも、きっと一生忘れないだろうなっていう音楽体験がある。歌詞が耳に入ってきて、ぎゅっとつぶっている目から涙がただ静かに流れた時のこと。どれだけ意味がないと思っていても、どれだけ虚しく思えても、すべての物事には続きがあって、わたしたちはいつだって「それから」に向かっていくしかないのだと。千年後、わたしたちは何してる? ゲラゲラ笑って、ビールでも飲んでいたらいいなと思う。たぶん1年ぶりくらいにライブのチケットを買う。しょうもない、意味なんかない、虚しいなんてぼやきながら、明日以降の予定を入れるのがおかしくてすこしうけた。

SuiseiNoboAz「それから」

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