「ずっと深い霧の 霧の向こうへ」
3月23日
踊り出したくなるようなTシャツを買ったり雨の中走ってマックに行ったり友達と飲みに行きたいねって連絡を取り合ったり。光のような瞬間はたくさんあるのに正直ずうっとしんどいしずうっとかなしい。わかってほしい、手を握ってほしいけれど、そんなことは言えるわけもなく、ただただ苦しいなあと一日になんども目の先が翳るのを止められないでいる。
気づけばもう毎年恒例のWACKオーデの時期で、初年度から見続けて6年目、あそこにあるなにかにあこがれたこともあったし、悔しくて苦しい気持ちになることもあったし、自分の状況と重ねたこともあった。それがいまやいろんな感情がひゅんとなくなっていて、でもそれをただ同年代ではなくなっただけ、で片付けてしまうにはあまりにもったいない気もする。なにが変わって、なにを手に入れて、なにを失ったのか。
わたしはほんとうに単純で、自分というものがないので音楽ひとつで気持ちをさらわれてしまう。ライブ映像を見ると、当時の気持ちや高まりや考えていたことを容易に思い出せるし、おんなじ部分でまったくおんなじ気持ちになることがたくさんあって驚いた。もしやわたしはなにも変わっていない?と思いながら思い出した気持ちに責任を感じたり、やっぱそうだよねと思ったり。それに、そんな気持ちをゆうに飛び越えて純粋に楽しくなるのも、未来が明るく見えてどこまでもいけそうになるのも、クリエイティブってすげー!って思うまでもがぜんぶおんなじでうけた。
この気持ちはいつまで続く? 全然自信がない。自信がなくてごめんねと思っている。言いたいことは言えないし、期待を向けられると目を逸らしてしまう。むりで〜すというテンションで朝までカラオケでスピッツやきのこ帝国を歌ったり飲んだりしようよって言えたら良かった。話したところでなにかが変わるわけではありませんので……とすかした態度で強がっていたら完全にひとりになってしまった。むりで〜す くるし〜 たすけて〜 そうやって誰にも届かないところでひとりごとをぼやいているだけではずうっとこのままなんだろうなと思いながら髪を乾かしている。
4月4日
頬をぺたぺたと触りながら、実体がある、と思ったし、実体があるのは尊いなと思った。その瞬間を思い出しながら目を閉じたらまた涙がこぼれてきたので、気づかないふりして眠りにつこうと思う。
4月5日
気づけば、たすけて〜と思いながら走って坂を下っていた。今日はお手洗いやお昼で一人になるたびに涙が出てきて限界だった。そんなまま帰って一人で家で過ごすなんて到底無理で、帰りの電車の中で友達に連絡した。するとちょうど連絡をしようと思っていたのだと言われ、そのまま飲みに行った。
何かが解決したわけでも、気持ちがわかってもらえるわけでもないけれど、そういう気持ちなのだと打ち明けられたのですこし心が軽くなった。失ったあとはもう当然それを手に入れる前と同じ気持ちには戻れない、きっときっかけは離婚で、でもそれそのものを受け入れられないんじゃなくて、そのあと自分におよぼすいろいろをまだ受け入れられていないんじゃないって。服を買いながら、明日が来るのさえ無理なのに服買ってんのうけるなって思ってるって話をすると笑い飛ばされたのでよかった。
二年前にひどく落ち込んだときも泣きながらメガハイボールを飲んでいた。その帰り道、新宿西口で交わした握手に救われたことを思い出した。あのときはどうやって元気になったんだっけ。その淵にいるのを感じる。この先に落ちてはいけない、もう絶対にいやだと思いながら、ただ唇を噛んでじっとこらえるしかできない。
4月6日
日記にその時の気持ちを書いておきなって言われたので、少しずつでも書き残しておこうとしているけどあまりに暗すぎてうける。お昼ご飯を食べながらお昼ご飯食べてるのうけるなって思うし、働いてんのうけるし、あしたのお弁当の中身を考えるのも、お金の計算をするのも、先の予定を考えるのもうける。みんなが何を言っているのかわからない。つなぎとめるものがなにもない。ここまで書いて、これはもしやただの異常じゃんと冷静になって病院に行って、薬を飲んだ。まだ淵にいるうちにさっさと元気になりたい。体調が悪いので休みますといえばいいだけなのにそれがすでに億劫なので重い体を引きずってきっと明日もちゃんと会社に行くんだろうと思うとえらい。ほめてほしい、甘やかしてほしい、手をつないでほしい。一度しまった湯たぽんを取り出してお湯を入れた。枕にシュッして電気を消したところ。
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