めくるめく、としか
実家にいる母から、昔描いた絵の写真が送られてきた。
幼稚園、中学校、高校。さすがに幼稚園の頃のものは記憶にないものばかりだけれど、高校の頃の絵を見て、なんとも言えない気持ちになった。ちがうんだよな〜、この背景はこうしたいわけじゃなかった。もっとこう、ぐにゃぐにゃ〜っとした、異次元のような、色とりどりで、背景だからこそ、つかみどころがないようなものにしたかったのに、当時は手段をしらなくて、どうしようもなくって、と思うことで楽になろうとして、悩むのを放棄して。これで妥協しちゃったんだよなあ。っていうのを鮮明に思い出しては悔しくなった。
でも、たくさんの、一見無関係のようなものものを、いわば暴力的に、でも自分なりの意思や照準を持って繋ぎ合わせていくやりかたは、今も変わらない。金沢の21世紀美術館でみた作品のよう。まるでパッチワーク。昨年制作した雑誌もそうだし、今つくっている卒論もそうだ。あほだと思われるくらい、ジャンルも多岐にわたる、たくさんの大好きなものものを、丁寧に、位置付けていく。正直、終結するか不安ではあるけれど、ある程度自分の中では少しずつ形は見えてきていて、どう変化していくのかがたのしみ。もう時間もあまりないけれど、どんどん七変化していけよ、と思う。出来上がった時に思ってもみなかったものになってしまっている方が面白いからね。ノートに「まじめぶらない」と書いている時点でまじめなんだけれど。
自分がどうしようもないくらい単純でびっくりする。自分の言葉に翻弄されるばかり。一片の単語から、どんどん気持ちが広がっていく様は、めくるめく、という言葉でしか言い表せない。そっくりそのまま見せてあげたい。どんな些細なことでも、好き!と思えばぱぁっと世界は明るくみえるし、いや〜と思えば顔じゅうの力が抜けてひとりで世界の終わりを体現してみる。あほらしいし、いい迷惑だ。
さぁ〜!豆乳を投入するぞ〜〜!がんばるひとたち風邪ひくなよ〜!
なんてひとりでやっているのでゆるして。笑ってちょうだいよ。
こんな絵を描いたことなんてもう全く記憶になかったけれど、やっていることはなんだかんだ、変わらないものね。ずいぶんと色とりどり、だこと。昔からこう見えていたのかな、なんて。わたしの目はどうなってんだ。
ぜんぶまた散っていく。さむくなって、またせわしくて愛おしい年末が来るのね。
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