抜け殻だったあじさいが、
4/12
たのしいことがあるのはわかる。おいしいものがあることもわかる。光のような瞬間やまなざしも見て取れるし、いろんな人の声もちゃんと聞こえるのに、ひとりになった瞬間にぜんぶが無理になる。わかってる、考え方が間違っていて、それを変えない限り結局のところ救われないって。いろんな言葉をかけてもらっても、どうしてもわからなくてつらい。ずっと動揺していて、毎日乗るべき電車に乗り遅れないように、ただただ足を前に出すしかできない。
4/13
会社に向かいながら電車の車窓を眺めていると、週末に歩いた道を通ったりそのときにみえていたビルが通り過ぎたりして、それをみつけるたびにうれしくなる。ハバナイが心臓マッサージみたい。どうか、どうかうごいて。良い方向に、明るい方に。
そこまで書いたところで駅に着いた。意識が持っていかれそうになるたびに目をぎゅっとつぶって振り切った。時間は否応なく流れていき、あっという間の帰り道。ホームで源氏パイをかじりながら、誰かといるということは自分といなくていいことなのかと考えていた。ひとりになった瞬間に押し寄せてくる憂鬱。いくらめんどうに感じたり飛び出したいと思ったりしても、わたしは自分と向き合わなくていいことにたしかにたくさん救われ、すがっていたのだと思う。それを誰かは「案外誰かのために、で生きてきたんじゃない」というし、また誰かは「元の道に戻っただけだよ」という。夜がふけるにつれて苦しいし、目がさめるたびに少しだけ絶望する。いぬみたいに誰かの毛布にもぐりこんでねむりたい。日記なんか書いているからだめだと思うけど、きっと書いておいた方がいい気がして、書いてみてはつらくなっている。
見ていられるかなと不安だった、でも楽しみにしていたドラマを見ると、ちゃんと見れたのでよかった。続いていく明日を連想させる日用品や食料は、目に入るたびに嫌気が差す。それでも温かい飲み物を淹れて、高原近くでお母さんが買ってくれたおいしいクッキーを食べると、バターの味がしておいしかった。
4/14
偏頭痛でカーテンを閉めて頭には保冷剤、ちいさな音でカネコアヤノの新譜をかけながら横になっている。そんな状態なのに、「よすが」という言葉からいろんなことを考えはじめると、するするとたくさんの言葉が出てきて、その言葉ひとつひとつが自分を掬い出していく。自分のよすがは、自分でつくる。そのときの思いを、ちゃんとかたちにしたいと思っている。
4/18
「元気そうでよかった」って言われて泣いちゃった。わたしはひとりじゃないんだって、ひとりになんてなりえないんだって思えた。帰り道の電車で心がまるくなっているのを感じた。いまならどこまでも転がっていけそうなほど、ころころしている。
4/20
偏頭痛の発作。目がチカチカして焦点が合わなくなったが最後。朦朧としながら吐き気とめまいを抱えてなんとか帰った。電車の中はほとんど記憶がなく、家に帰りついていつもしている指輪がないことに気がつく。悲しい気持ちになりながらも体調的にそれどころではなく、ただ悲しいなと思いながらシャワーを浴びた。もう何年も身につけているから、どうしてもないと落ち着かないんだよな、そんなことを思いながら、ふと枕を持ち上げてみるとそこにポツンと指輪があって驚いた。ないことに1日気がつかなかったのも驚いたし、眠っている間に自分で外したんだろうか?とか。そういえば、なんか今日夢を見た気がするけど何も思い出せない。たくさんのお守りがほしい。ちいさくてきらきらしていて、ここにいていいんだって思えるようなお守りを。
4/21
ぜ〜んぶ時効で生きていきたい。きのうまでのこと、ぜんぶ。目の前にあることだけがすべて。今感じたことがすべて。偏頭痛は当分うっすら長引くし、舌は荒れてズキズキするし、目はしぱしぱするし、ねむいし。でも絶望していないのでいいな、と思った。昼休みは木陰のベンチで青々した新緑を眺めている。どこにいってもだれといても結局のところやることは何にも変わらない。何にも変わんないじゃんね。
“わかれたけどさ、今でも一緒に生きてると思ってるよ”
何度も巻き戻してみたシーン。言葉、表情。わたしの気持ちはわたしにしかわからない。それがおかしくって笑った。笑いながら泣いた。こうならないとわからなかった「きっともっとうまくやれただろう」は、こうならないとわからなかった時点できっとできなかったに違いないし、あり得なかった未来だったのだと思う。わたしたちは、み〜んなと一緒に生きている。これまでも、これからも。それを、とわ子が言葉にしてくれたのでよかった。
4/25
「どんなおとなになるんだろうね」と言っていた。一年後、五年後、十年後。いろんなふうになっていくんだろうし、いろんなことが変わっていくんだろうな。いろんなことがどんどんまあるくなっていくはずで、どんなおとなになるんだろうねって。
5/7
出張先のホテルで昨晩コンビニで買ったりんごヨーグルトを食べながら、りんごのこと前よりラブだなという気持ち。行きたいところも食べたいものも尽きないし、どんどん好きなものが増えていく。なんだか毎日が穏やかでゆたかだなあということを伝えようと書き始めた手紙に、そのことを書きそびれてしまったことに今気がつく。
5/16
抜け殻だったあじさいが、新しいつぼみをたくさんつけていてうれしかった。
5/19
1年半ぶりなのに、会ったそばから先週のつづきのように歩ける友達がいるのがうれしい。それぞれ会っていない間にいろいろあったけど、やっぱりおんなじ音楽を聴いていて、あの頃となんにも変わらなかった。ふと気づいたのは、わたしの友達はみな、基本的に“何があってもおかしくない”というスタンスだということ。だから、何を言っても過度に反応しないし、それが心地よくていっしょにいれるんだろうなって。雨上がりの陸橋で、友達が「電気圧力鍋はでかければでかいほど良い」と言っていたのがよかった。それと、「きっと君は何かをつくったほうがいいよ、凝っていなくても、ちゃんと文章が書かれたものを」と言ってくれたのがうれしかった。
そんな気持ちだから、こんなメモもいいかと思って。抜け殻だったあじさいもちゃんと季節がめぐればつぼみをつけるし、めちゃめちゃに落ち込んでいても、いつかは元気になっていく。少しずつでもちゃんと言葉を残しておくことで、それがわかったのでよかった。
0コメント