ジャイアントパンダに乗ってみたい

なるほど、と思わされることと、なんでそんなことまで、が多すぎちゃって、なんなんこいつ、と思う。なんの恐れもなしにずかずか踏み入ってくるしなんなん。勝手にわかられているのがうれしい。あれあれ。最初はあんなに。わかるところとわからないところをそのまま互いに伝え合えるのと、歩調を合わせることすら必要ないことが、うれしい。聞いているか聞いていないかのような様子で、人差し指で机をポンポン叩きながら店内のJ-POPをあほづらで口ずさんでいても何も咎められないし、笑われもしない。笑いすらしない、自然なことだと受け止めてくれるのは心地いい。わたしだって別にほとんどのこと、ただなんの考えもなく、無意識にやっているだけなんですもの。そこにはお互い、なんの戦略も迷いもない。一緒のコミュニティにいたわけでもないし、何の接点もなく、ただ二年生の夏、あの日、言うなれば同じ会場に居合わせただけなのに、こうやって地味にあそびつづけているのってすごいよな、と言い合っていた。

このパンダに乗ってみたい。人と会うのにミッションが必要なのはおかしい、と言われたのになお、なぜだかミッションを探してしまう。間が持たないような気持ちになるのがこわい。あきられるのがこわい。地で勝負できるようになりたい。まだまだむりそう。このパンダに乗ってみたい。ジャイアントパンダに乗ってみたい、と口ずさみながら、乗ってみたい。

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