パクチーみたいな色のギター

パクチーみたいな色のギター下げやがって、と思いながら眺めていた。

わたしはライヴハウスにただ音楽を聴きに行っているわけではないのだ。なんだかただ音楽を聴きたいだけならば家で一人で聴いていた方がいいとさえ思ってしまう。お風呂で陽気に音楽をかけて歌っていた方が、酔った帰り道にふんふん口ずさんでいた方が、たのしかったりするのです。あほみたいかもしれないけれど、ライヴには家で聴くだけでは得られないような心の揺さぶりを、どうしても求めてしまうのでした。

久しぶりのそれは、そこにしかないもので、最高だった。今日はこれを伝えよう、これさえ伝わればいい、ということを、意識していても、無意識でも、ぎゅっと握りしめているのは好感が持てる。たくさんの言葉はいらない。そんなものは、たったの一言でいとも簡単に届くのだ。なんだか不器用で、人間味に溢れていて、すべての音がエモーショナルだった。自分たちの曲の運び方や、機材に触れる手つきがとってもやさしい。なんだかあほみたいにありがちやけど、もしかしたらガラクタみたいにみえちゃうようなものもの、でも確実にそれは大切なもので、もしくはみんなが、わたしが少しずつ手放していったもので、そういうものを、屈託なく見せてくれているようで、あたたかい気持ちになった。好きな歌がYouTubeにはなかったので、はやく載せてよと思う。元気になるよ。わたしは、わたしがいま見たいものを、ひとつひとつしっかりと選びとっていかなくてはならない。こころもからだも、ひとつ。怠けていちゃだめだ。

あと、めちゃくちゃ余談だけど、なんだか愛だのなんだのを歌う他の演者、SSWの物販スペースに、おそらくその人のスマホが充電に繋がれて置かれていたのだけど、それが真っ暗の中で、なんならそのSSWの歌う中で、緑のランプを点滅させているのがおもしろかった。きっとそれはだれかからのラインがきたしるしで、なんだかふんわりとした言葉選びしかしないこの人にもそういう具体的な日常があって、きっと煩雑ななにかにこれまた追われながら、そしてだれかと繋がりながら、生きているんだろうなあって。やわらかい気持ちになりました。

久しぶりの下北沢はわたしにはちょっとエモすぎました。四年間住んでいた街よりも。昔のバイト先は移転しちゃってまっくらだったし、いつしか初めて「芸能人」をみて興奮した喫茶店はなんとなく物悲しかった。でも、いつもの棚にいつもの人がつくるアクセサリーが未だにあってなんだか色んな気持ちになったり、下北沢で会ってきたいろんな背景を持つ人々を思ったり、雑貨屋さんの店員さんがまだ覚えてくれていたり、恋い焦がれていたいろいろな場所や風景を感じたりと、なんだか苦しいような、笑っちゃうような、瞬間でした。なんかぎゅっとくっついているカップルいたりこの写真めちゃラブじゃんね。思い入れのある場所が多すぎます。

だれかと話して、何かを受け取ったり、与えたりするのは大切なことです。与えられているかは微妙やけど、受け取るのが最近得意気味です。キャッチボールはあんまりしたことないけれど、体力測定のボール投げみたいなのは7mしか飛ばなかったけれど、キャッチは少しずつ上達していっています。どんな球が来ても、「とれるわけないだろう」と思っても、思われていても、ちゃっかりとれるくらい、やわらかなままでいたいものね。

がんばって。


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