価値観コレクターとして死んでいる
は?何言ってんの?たった8ヶ月前に書いた自分の卒論がムカつく。何楽しそうに書いていんだよ。メチャクチャに楽しそうに書いてんじゃないわよ。どこいったんだよ?どこをさまよっているんだよ、わたしは。ムカつくムカつくムカつく。悲しい。
雑誌を作るのはメチャクチャに楽しかった。考えてるもののすべてだったし、考えているものが形になっていくのが嬉しかった。卒論もメチャクチャに楽しかった。今までわたしが好きになるものにどんな共通点があるのか探っていったらどんどん全部が繋がっていって拡張されていった。手が止まらなかった。正直、繋がりをすべて理解していたのはわたしだけで、読んでくれた先生にはすべては伝えきれなかったかもしれないけれど、あまりにも多い引用もすべて効いていると信じてやまなかった。そんなアホみたいな10万字の卒論に足りなかったのはフィールドワーク。そんなことはわかっていた。わたしの今までの全部はフィールドワークだった。純粋な、自分のための至高なフィールドワークだった。転々としたアルバイトも、派遣も、インターンも、学生団体も、サークルも、経験したものすべてがフィールドワークだった。
手をつけるのが遅すぎたせいでフィールドワークが出来なかったのはただの怠慢。そしてそれをしょうがなかったですましているのもただの怠慢。怠慢ばかりでアホなのか?
フィールドワークがしたい。森達也の「東京番外地」を読んだ。今までの、わたしにとっての散り散りに惹かれていたものものがこんな風に一つになることで一体感が出るとは驚きだった。言うなれば、わたしはそういうことが好きだった。雑誌だって、卒論だってそうだった。散り散りを集めてこねくりまわして面白くなること。自分が。わたしにとっての散り散りは、風に吹かれて一体どこに行ってしまったんだ?これ以上ないのか?人に会いたい。知らない人に会いたい。知らない世界を見てみたいし、いろんな人の価値観を集めたい。こないだ友達に言われた「おまえは価値観コレクターだろ」。価値観コレクターとして死んでいる。早く生き返らなくちゃ。
就職したいと思っていた。次のバイトを探すのも、次のインターンを探すのも、次のコミュニティを探すのも疲れた。一度腰を据えて何かのプロになりたいと。1日8時間、会社の椅子に腰を据えていれば嫌でもプロになれるんじゃないのか。言い訳じゃないのか。自分を責め立てる自分が止まらない。よく考えてみれば会社もただのフィールドワークでしかないのよ。楽しんでいこうぜ。
豊かな生活。土日を楽しみに過ごす平日。奨学金の返済。パプリカとキュウリの酢漬け。ちょっとの贅沢。そんなのはもう正直どうでもいいから、やみくもにフィールドワークがしたい。フィールドワークってなに。なにをしようか。ワクワクするね。わかんないから、いろんな人に連絡してみる。あまり得意ではないなりに。いろんな人はとても優しい。まずはたくさん会って話を聞こう。みんなの話を聞くのが本当に好き。
書を捨てよ、町へ出よう。ほぅ、あんた言ってくれるね。
0コメント