目を見て言えるようになったいまのことも

朝からすくっと起きて、歩いて花屋さんに行って、200円の南天を買った。その足で次はオオゼキに行って、お刺身をみる。おいしそうなものはどれも大きなサクで、しかたないな〜と思いながら吟味する。大晦日の買い出しは、いつだってわくわくして、たのしい。帰ったら、おもちをついた。あちあちのおもちをころころして鏡餅にした。昔におせちのレシピを書いたノートをめくると2016年だった。今年は、お雑煮とがめ煮と、伊達巻。毎年、お正月料理の写真をおばあちゃんに送ると喜んでくれるのがうれしい。今年はちょっとだけれど、それでもやっぱり自分の手でつくることを大切にしていきたい。そんなふうに健やかに、大晦日を満喫している自分のことが微笑ましく感じるくらい、今年はめまぐるしい一年だった。

今年の記憶を遡ろうと少ない日記を読み返してみた。くらく、くるしい日々のことも鮮明に思い出せるけれど、とうてい今年のことには思えないくらい、もう遠くに感じる。元気になれてよかった。「なんのために」「どこへ向かっていけば」なんて四方が真っ暗で、すきまからずっとこぼれおちそうになっていたわたしの手を引き続けてくれたひとのこと。今やわたしの記憶はたくさんのおいしいごはんやいろんな場所のうつくしい景色やたのしい気持ちで埋め尽くされていて、こころがいっぱいになっていることを感じる。だから、こうやってひとりでも大丈夫なんだって。くるしいときも、元気なときも、ちょっと体調が悪いときも、どきどきするときも、いつもいっしょにいてくれてありがとうっていうことを伝えようとしたら涙と気持ちがあふれてしまってうまく伝えられなかった。それくらい、2021年はわたしにとって重たくて、尊くて、あたたかい一年だったから。

前、日記を最近書いていなかったことに対して、「書かなくていいくらい穏やかになったっていうことかと思ってた」と言われて、あなたはなんでもわかっているのねと思った。わたしがこれまで書き殴っていた根本にあるのはやっぱりそんな理由だった。書かないと気がすまないやるせない気持ちや、どうにもならない気持ちのやりどころであり、「目を見て言えないことを書く」手紙のようなものだった。
でも、毎日が穏やかで、そしてどんなことも目を見て言えるようになったいまのことも、ちゃんと書きたくて、それがわたしはうれしく、そう思わせてくれるたくさんのことを愛おしく思っている。
酔い潰れて泣きながら越した年が、こんなにも明るく、うれしい年になるなんて思ってもみなかった。生きていればいいことある。たくさんのいいことを、これからもいっしょにみつけていこうね。

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