ずっと好きでいていいし、大切な言葉はずっと大切だし

10年前の大晦日、「自分の手元に置いておきたい」と思って寒い中自転車を漕いでCD屋さんに行き、当時の私にとっては思いきって『CHRONICLE』のアルバムを買ったこと。高3の頃、手帳に書き留めていた「東京に行ったらしたいこと」の中でも特に大きく書いていた『富士吉田に行きたい』。わたしにとって重要なロックンロール・スターであり続けている、志村の存在。それなのに、上京して9年が経つのに富士吉田には行っていなかった。もちろん一人で行こうとしたことも何度もあったし、友達とノリで行こうとしたこともあったのに、なぜか行かなかった。それがずっと引っかかっていて、どんどん自分の中で重たく、意味もなく重要なものになっていて、なんとなく、気が重かったのも確かだった。
ようやく、いろんなことが重なって、いまだ、というタイミングがきて、あした富士吉田にいくことになった。ずっと、何かが引っかかっていたのだけれど、さっき湯船につかりながら、ようやくわかった気がした。
もともとわたしは、好きな人が生まれ育った地や、ゆかりある地をまわるのが特に好きで、これまでも太宰の生家や寺山修司や中也たちの、「ゆかりの地を訪ねること」が旅の計画を立てる出発点だった。それはやっぱり、大好きな人が、どんな地で、どんな景色をみて、どんなことを考えて過ごしたのか、それが、その人たちの作品にどんなふうに滲み出ているのかを思いを馳せながら辿るのが好きだったからだ。たぶん、踏み締めて歩く道は、どれだけ時間が経ってもきっと同じで、そんな道をてくてく自分の足で歩くことで、巡り合いようがないその人たちと、ながい時を超えて“つながっている”感覚になることに感動していたんだと思う。
そんなふうに、生きていた時代がまったく違う人たちのことを追いかけることはできていたのに、志村もおんなじようにできなかったのは、生きていた時代が少なからずおんなじだったからなのかもしれないと思った。生きていて当然という感覚がどうしてもあって、正直、ずっと生きているような気がしていて、いないということが本当の意味で受け入れられておらず、それを受け入れることができなくて、足が重かったのだと思う。それをちゃんと自分の中で整理できてよかったと思うし、今となってはそんなことはもうどうでもいいなあと思っていてすこし気持ちがいい。
富士吉田に行くことは、わたしにとっての弔いなんかじゃない。そんなものは必要ない。ずっと好きでいていいし、大切な言葉はずっと大切だし、音楽はずっとわたしの中で鳴り続けるのだから。ただ素直に、大好きな人が好きだった場所や景色を、わたしも見てみたい。場所も景色も、空気も、まったく違うのに、きっとおんなじで、それを自分の目でみて、感じられるのが楽しみだなと思う!

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