「こんな儚い世界の中に信じた人がいる」


いまどんな気持ちでいるんだろうって後頭部を見ていると、かくん、かくんとしていて愛おしいなと思う。
わたしはというと、借りているイヤホンで「自分を表すプレイリスト」を聴いている。いま、同じようにプレイリストをつくってほしいと言われたら、きっとまったくちがうプレイリストになるんだろうなって思っている。
あらためて聴いていると、選曲していたときには気づかなかった自分の気持ちに気付かされる。根本的に、だれもわかってくれやしないと思いながら生きていたこと。苦しくても、救われなくても、自分の気持ちは自分で日記にしたりしてどうにかやり過ごさないといけないと思っていたこと。
そんなことに気づけたのは、そしてそんなふうに日記を書く必要がなくなったのは、そんなわたしをまるごと受け入れて、理解してくれようとする人に出会えたから。
中学生やそこらの頃、天神ではじめてひとりでお蕎麦を食べた。ひとりでお店に入って食事をするのは緊張したけれど、少し大人になった気がしたのをいまでもよく覚えている。わたしは、ひとりで楽しめるんだって、ずっとこうやって、ひとりであれこれ考えて沈んだり、楽しんだりしながら、生きていくんだって。つよがりでもいい、ずっとこうやって生きていくと思っていたから、いまの日々やいまの自分の気持ちがほんとうに新鮮で、うれしくて、そんな気持ちをくれたあなたのことを本当に大切に思っている。
いろんな人の顔が次々に浮かんでくる。
いちばん近くで、喜びも悲しみも苦しさもぜんぶいっしょに受け止めてくれていたお母さんの、ほんとうにうれしそうな顔。これまでいろんな思いが交差していたお兄ちゃんが、わたしの白無垢姿を見て目を見て頷いてくれたときの顔。たくさん名前を呼んで可愛がってくれた、おじいちゃんやおばあちゃん、おばさんのやわらかい笑顔。ぶつかった分だけ心を通わせ合った友達の泣きそうな顔。
綿帽子の影からこっそり隣をのぞいたときに見えた、緊張しつつもまっすぐ前をみている大切な人の顔。そしてすべてがおわってあふれてきた涙の一粒一粒。
式の行程のことはあんまり思い出せないけれど、大切な人たちの表情や言葉のひとつひとつが思い出されてぜんぶを写真に撮れたらいいのにって、ひとつものこらず記憶できていればいいのにって。その一方で、わたしはどんな顔でみんなの目に映っていたんだろうとも思う。めまぐるしさにたぶん気持ちがついてきてなかったけれど、こんなにもうれしい気持ちが、ちゃんとみんなに伝わっていればいいなって。
ふたりでたくさん考えたことが、ちゃんとみんなに伝わってうれしい。みんなに対してもそうだし、あなたに対しても、わたしのこのうれしい気持ちがあますことなくちゃんと伝わっているといいなと思う。

きっと、いままでのような日記はもう書けないと思う。この日記は、わたしにとってなくてはならないもので、大好きな拠り所だったんだなと、いまならわかる。次々に生まれる気持ちを、逃すまいと夢中になって残してきたたくさんの言葉。いつかくるこの日のために私が大切にしてきたサムシング。ときにひとりごとで、ときに手紙だったわたしだけの場所。届けるつもりがないようで、本当は届いて欲しかった言葉が、まったくちがうかたちで、ちゃんと届いたこと。書いてきてよかった。考えてきてよかった。悩んできてよかった。たくさんの気持ちがいま、あなたによって、報われていく。
コインランドリーの夜からここまで、一緒に歩いてきてくれてありがとう。
これからはどんな日記を書こうか? まったく想像ができない。日々の暮らしで生まれては消える気持ちを、どうやったらひとつ残らず大切にしていけるんだろう。うれしくてスキップだったり、つかれてトボトボだったり、たのしくてケンケンパだったり。ふたりではもちろん、きっとそれぞれでも。振り返った時に、毎日の足あとが、ちゃんとのこっているといいなと思う。

信じさせてくれてありがとう、
信じてくれてありがとう。

本当の心、本当の気持ち。
こんな儚い世界の中に信じた歌がある。
こんな儚い世界の中に信じた人がいる。

andymori「 Peace」

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