たとえば、サニーデイ・サービスの「INTRO」みたいな。

「ぜったいに今日はパンやさんのメロンパンを食す!!」と息巻いていたわたくし。先日、雨の日のパンです。色合いきれいすぎないか?

世の中、ひょうしぬけすること、おおすぎませんか? おおすぎると感じるのは、わたしがそもそも考えすぎているからでしょうか。「あっ意外とやさしい」「あっそんな風に思ってくれていたんだ」「あっその程度でいいのね」考えすぎることは、そんなにいけないことでしょうか。まあ、そうはいっても考えないことも、手を抜くこともしたくないのでしょうがないんですが。

もっとこんなのが読みたい、もっとこのほうが長く続けられるだろうに。もっとこうしたほうがきっと魅力が伝わるのに。もっと、もっと、もっとばかりでばかみたいでしょうか。いったいなんのためにわたしたちはこんな場所に何がしかを書きなぐっているのでしょうか。

そういえばこの前友達が「ひろってくれない」と言っていた。言っていたよな? それ、すごくわかるな。ひろってくれる人はもちろんいるのだけれど、ひろうことを知らない人、ひろう概念がない人ってやっぱりいるもんなんだなって。ひろうことを教えるなんてできないので、そういうのはもう見過ごしていこうぜ。あっ最近悟るのやめたんだったのに、こんなんじゃだめですか? わたしはできる限りひろっていきたい。ひろってほしい。比較的、一生懸命話をしてくれる人が多いのはきっと奇跡、ありがてえ話だぜ。でもでも、つまんなくてもいいやって思えたとき、何かが始まる気がする。つまんないのは変わんないけどね。

つまらないことの中にしか緩急は生まれないし、緩急が生まれるものこそが、きっとずっと続いていくのかもしれない。

たとえば、サニーデイ・サービスの「INTRO」みたいな。

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