"かもしれない"
祖父江慎+コズフィッシュ展 《ブックデザイ》
面白かった。最高だった。アイディアの宝庫だった。
あふれんばかりの本。あふれんばかりの、というかむしろあふれかえっていた本。
ブックデザイ。ンが足りないじゃないか。含みがある感じがまた悔しい。
本の装丁一つ一つに物語があって、それでいて、この展示にもたくさんの物語と工夫があった。人が入れる箱のような空間にはたくさんのフォントがあふれている。はたまた、真っ暗の部屋の中では特別なライトでしか光らないものが所狭しと。展示会場の壁は余すことなくフォントと祖父江さんの手書き造本プランで埋め尽くされる。
恩田陸の『ユージニア』。文字の一つ一つ、傾き方から余白まで、一ミリ単位、ことこまかく設定されている、そのメモがでかでかと壁の一面を占めていてわたしは嬉しくなってずっと眺めていた。
他にも、装丁だけで読みたくなる本が山程あって、ずっとにやにやしながら歩いていた。
中でも『悪趣味百科』があほらしくって笑える。なんでこんなに低俗なのにこんなに強烈に印象に残るんだろう。しっかり読みたい、とは思わせないところにまた惹きつけられる。あからさますぎる程のあほらしさは必死であってもなんでもどうでもいいのかもしれない。そんなあほらしいほどのあほらしさを前にしたとき、私たちは結局なにもなすことはできない。結局は低俗なものが勝つのかもしれない。かもしれない。
様々な項目で本を分類し、並べる。展示そのものが最高級の編集をなされていた。なおかつ並べられた本のなかはさらに編集されていて、ここまでか!と言わんばかりの「編集」を体感した。世界の全てが毎日「編集」されている。編集者の意図は、人々の意図は、わたしの意図は、一体どこにあるのだろうか。なにを面白く思って、なにを見せたいんだろう。なにが見たいんだろう。おわり。
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