「分かったことがひとつ 恥ずかしい それはかっこいい」

受け取ったプレイリストを再生しながら、今日はずうっと街を歩いていた。繁華街は夜でも明るくて、小道がたくさんあるから延々に歩ける気がして。街を縫うように歩き続けて、ゆっくりゆっくり時間をかけて帰ってきた。立派なひまわりは枯れ始め、すぐ隣に次の蕾が出てき始めていた。

10年くらい前、自分の好きな曲を入れたCDを交換した記憶。わたしのには「ダニー・ゴー」が入っていて、友達のには「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」が入っていたな。そのときはどんな気持ちで選んだんだっけ。きっとそのときの好きを詰め込んだんだろう。

それから時が経つにつれ、大切な曲も少しずつ増えていった。いまのわたしを表すプレイリスト? と思って選曲はもちろん曲順も悩んでいたら何時間も経っていた。いまのわたしってなに? 考えれば考えるほど、いまのわたしはどんどん原点に回帰していて、ずっと昔から大好きな人たちの曲ばかりになった。ほんとうにただの感覚で1曲ずつ聴いて並べていったら、いまのわたしが見えてきたような気がした。わたしが大切にしていることも、どうしようもなくぐるぐるしてしまうことも、避けようのない気持ちの上がり下がりも、ぜんぶ見え透いちゃうようで、恥ずかしいのにうれしくなった。

わたしは、誰かと大切なものを共有したかったんだと思った。わたしの大切なものを好きになってもらったらうれしいし、わたしも好きになりたいんだと思った。プレイリストは、宝物を見せ合うようだね。音楽も、それにまつわる記憶も、気持ちもぜんぶ。まずはいろんなふうに聴いてみるから、いつか教えてほしいなって思った。

「分かったことがひとつ 恥ずかしい それはかっこいい」

いままで気に留めなかった言葉が響く。恥ずかしいとか、ださくていやになるとか、ぜんぶまっすぐだからなんだよな。まっすぐあることは誰にでもできることじゃないからかっこいいし、ちゃんと届く。かっこいいよ。わたしも、文章ひとつ書くにも、言葉ひとつ選ぶにも、恥ずかしい気持ちをぐうと噛み締めながら、いまのわたしでちゃんとひとつひとつに向き合っていくぞって思ってる。


カネコアヤノ「グレープフルーツ」

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