「ああ、間違っていなかった」って
あらためて考えようとすると何事もあれれとわかんなくなっちゃうけど、そういえばちょうど1年くらい前にあれこれ書いていた気がすると思い出して、当時のノートをめくる。転職の動機もやりたいことも丁寧に書かれていて、あたし……!!って。走っている時の方が、やはり頭も動いているし、物事をよく整理できるのだなと思った。
さらにノートを遡っていくと、ごちゃごちゃのメモの中に走り書きの日記がいくつかあった。ああ、ちゃんとこの時も少しは書いていたんだと思った。まあ、11/27を境になにも書けておらず、次のメモは2月。そのときには完全に灰になっていて、小さな字で4行だけメモがあった。空白の2ヶ月間。渦中にいると気がつかないので、元気がなくなったらみんな連絡くれよなと思う。でも元気がなくなるとそれすら思いつかないので、みんな定期的に遊ぼうなとこころで思っている。このノートもあやうく気づかないまま捨てるところだったので、ちゃんと供養しておこうっと。「そのときのあたし! そのときのあたし!」って呟きながらね。
2019/11/27
「これはかましの問題だから」と言われてなるほどと思った。どんなものでも自分の中に答えを持っておくこと。他人事にしてはいけない。そうなるとやりづらいし面白くない。自分の中に答えを持つには自分の頭で考えること。おかしくても間違ってもよい。誰かに遠慮するんじゃなくて、良いものをつくりたいって思う気持ちをずうずうしく発揮させてもらうこと。ずうずうしく生きよ、あたし。
2019/11/10
松山に出張。前泊して正岡子規記念館と坂の上の雲ミュージアムに行く。
“「おもしろいか」と真之が聞くと、「こっちがききたいことじゃ」と子規は妙なことを言った。要するに、おもしろいからやっているのではなく、おもしろいかどうかを考え求めているのだ、と子規は言う。(理屈の多いやつだ)”
夜、ホテル周辺の大衆居酒屋におそるおそる入ると地元の人たちがめちゃくちゃあたたかく迎えてくれた。隣の席の人たちがじゃこ天やフグの唐揚げやハイボールを奢ってくれて、知らない人とだからできる話をたくさんした。その人たちが次の店に行ってからは、違う人が話しかけてくれて、まさかのandymoriのファンでその人が首に巻いていたタオルを広げると水色のandymoriのタオルだったのもよかった。「あたしもその黄色持ってます!」って盛り上がっては、ばかでかいハイボールを延々飲みながら好きな曲の話や小山田壮平や長澤知之、志村正彦の話をした。次の日は朝から取材だというのにべろべろになって、ヘラヘラ笑って解散した。きっともう会うことがないことはないけれど、出張先の偶然入った居酒屋で意気投合したあの高揚感はきっと忘れられないし、むずかしいこと抜きにしてぐっと友達になる感覚が本当にうれしかった。
2019/10/15
わたしはデザインが好きだった。いろんなかわいいかたちにどんな思いが込められているのか。一つ一つはデザイナーさんのアイデアだった。それを全てなしにして文字だけ組めばいいと言われているようで、それなら自分でやればと思う。でもそれを言わないのはこれをわたしのチャンスと考えているからで、わたしはわたしがみにくくてたまらない。自分で作っているものではないから口をはさんじゃいけないのか、自分でつくっている意識を持たないことが正しいのか、そんなのはうそだ。わたしにはスキルがないから、知識がないから、こんなにボロクソに言われる。わたしはデザインをきらいになりたくないしもっとうまくなりたい。“良い”理由が知りたいし、できるようになりたい。企画とデザインがぴったり合った、届くものを作りたい。ひさしぶりにこんなにくやしい。負けたくない。毎回くやしくて泣いているのに、わたしは一向に成長していない。
2019/9/23
何百枚もの画像補正とその配置をやったすしおさんのイラスト集を売るべく大阪城ホールへ。自分が携わったものはもちろん、なんでも売るのはけっこう得意。だってカステラもどら焼きもチョコレートも売っていたし。「お姉さんの心意気を買います!」と買ってくれる人たちがいてうれしい。無我夢中で売り続けていたらいつのまにか夜になっていた。
BiSHのライブを交代で見せてもらう。わたしはBiSHにはなれないし、BiSHもわたしにはなれないのだなと当たり前のことを思った。わたしだけが知らないわけでも、わたしだけがなれないわけでもない。ライブ一つとっても、たくさんの人がそれぞれに仕事をしていて、それぞれの人の心意気を感じられる。それがうれしい。わたしの仕事はどこで生きるのか。カメラを回す人も、照明を当てる人も、清掃員だって、BiSHのメンバーだって、それぞれの役割を果たしているのだ。チッチとアユニが背中合わせになって良い顔をして歌っていた。良い仕事をしている人は、良い顔をしている。わたしにはなにができるだろう? できることとやりたいことはどう違うんだろう? わたしも良い顔をして働きたい。
2019/9/6
友達と尾道に行った。前日の夜、急に電話で決まった。「新しい場所に行くのがこわい」と言うわたし。億劫とかではなく、そこでなにを得られるのだろうかとか、新しいものと出会って今の毎日が変わってしまうかもとか、たぶんそんなこわい感情があって、友達は「どうしたん、らしくないやん」と。「何でもいいから、このゲストハウス面白そうだよ」と、翌日の21時になみうちぎわに集合、それだけを決めて電話を切った。荷物を詰めたリュックは取材に行くとは思えないほどパンパンで、家に帰らないことが不安だった気持ちはいとも簡単に消えてワクワクしていて「ああ、間違っていなかった」と思った。
岡山で表彰式の取材。表彰される営業社員の人たちに感動して涙が出たし、懇親会の取材中に、取材させてもらった人たちが親しみを持って話しかけてくれるのがうれしくて、あの表情をわたしは一生忘れたくないなと思った。外部の人ではなくなっていた。もしかしたらその線引きは、わたしの心の持ちようなだけかもしれないけれど、でもたしかにわたしは中に入れてもらっていたんだ。それまでは、大学の時からイベントなどでも居場所がなくて、息を潜めて、気配を消して、心細かったんだけど、それはただわたしがコミットできていなかったからかもしれない。取材させてもらった人が、「原稿を同僚に読まれて『〜劇場やん』って言われて!」とうれしそうに話しかけてくれる。その人となりが少しでも出せていたことがうれしい。「また取材にきてくださいよ!」「こいつ、俺の部下なんです」。みんなの顔が思い浮かぶ。精一杯書いてよかったと心から思った。
電車に飛び乗って、原稿を読み返しながら尾道へ向かう。友達が遅れていたから、ゲストハウスの2段ベッドの上でスマホをある程度充電して、一人で温泉に行った。夜道が少しこわかったけれど、どこか足取りは軽かった。わたしが、わたしの意思で、ここを歩いている。それがうれしかった。
友達と合流して散歩をして、かろうじて開いていた鍋屋さんで鍋を食べず、魚の酢漬けやイカを食べた。おいしさと、二人で仕事終わりに尾道にいる不思議さがおかしくて笑った。じっとりとした夜に、歩いてなみうちぎわに戻る。灯りに照らされたざらざらの道を行く。
カメラの音と、きのこ帝国。水面には光が反射してゆらゆら揺れている。適当な段差に座って、リュックに入っていたぬるくなりかけのグリーンラベルをあける。友達のタバコの煙が光に揺れている。生温い風が頬をなぞる。なにを話したわけでもなくて、ただそこにはきのこ帝国の歌詞がぽつりぽつりと落ちていくだけ。身体がないような感じがした。うっすらと明るくなってゲストハウスにそれぞれ戻って眠った。次の日はパン屋に行ったり坂道を登ったりした。いくつになっても写真を撮られるのは慣れないけれど、友達の写真にうつるわたしがどれも素の表情でうれしくなった。そのなかに、「光のなかに立っていてね」の構図の写真があってとても気に入っている。友達がくれる言葉や写真からそんな思いが伝わってくるような気がして。
それからはなんとなく心が軽くなって、会社帰りに一人で一駅分飲みながら歩いて帰っている。あの時のグリーンラベルときのこ帝国。この二つがあれば、あのなみうちぎわにいつでも行ける気がするから。わたしだけの時間を、わたしのための時間を。
尾道の写真を見返すと、今年の夏の写真とはまたぜんぜん違っていてびっくりした。次行った時はどんな写真を撮るんだろう。なんどだって旅に出たらいい。たのしみなことばかりだぜって言い聞かせている。
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