「きみが夢にでてきたよ」
ひさしぶりの三省堂。わたしは、あてもなくたくさんの本の中をふらふらと泳ぐように歩くのがすきだった。数年前、来る度に読み進めていた本は最近映画化した。毎回出るときには本いっぱいの紙袋を抱えていたこと。そんな三省堂に掲げられたでっかい看板。馴染みのロゴマーク。「自分にとっての109なんだ」。店内に入るといちばん手前に並べられていて、手に取ったら束見本とも校正紙ともちがう重みがあった。
今日までの間にいろいろ書いてみては、なんかちがうと手を止めたたくさんの言葉を優に飛び越えて、また新しい気持ちが浮かんでくる。人はまじで思い込みで生きているし、目をつぶりたいことにはつぶって、見たいものだけを見て(見えてしまうものもあるけれど)生きているんだなと思った。それくらい、目をつぶろうとして見えなくしていた自分に気づけてよかった。ちゃあんとたくさんの気持ちがあった。それに、どんなときでも「時すでに遅し」なんてことはなくて、どんな状況でもそれぞれがそれぞれに選択しているんだよなと思った。
たくさんのごはんをつくった日曜日。「誰かのためにごはんをつくるのがすきだった」ってお母さんに言ったら、「こころもからだもぽかぽか料理」ってお題をくれて、食べにきてくれた。料理をすきになったのは、やっぱりお母さんがきっかけだった。19やそこらのあの頃、地元に連れて帰られてまず習ったのはかぼちゃの煮物だった。ごはんを食べないと力って出ないんだって知ってちゃんと作るようになったし、いつしか作るのがだいすきになっていた。帰り際、「ちゃんと生活できてるかな」と聞いたら「なんにも心配ない」と答えてくれた。
翌朝、カーテンを開けると窓ガラスがまっしろに曇っていた。お弁当をつめるとうまくいきすぎて憎いくらいきれいにできて、すこしかなしくなった。言葉が詰まったLINEを読んでいると、霞んでいた窓ガラスがいつの間にか透明になっていて、どんなときにも時間は経つんだなと思ったのをすごく覚えている。
ちゃんと言葉で伝えられてよかった。ちゃんとでっかい看板を見に行ってよかった。帰ったら、新しい気持ちでもう一回ちゃんと読もう。それに、またたくさん本を読みたくなった。だいすきなあのお部屋で、読みたかった本やこれから出会う本をまた少しずつ読んでいこうと思う。
モモコグミカンパニー『きみが夢にでてきたよ』
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