くすくす人間

「なんでもなさげな日常にも、色々と裏側があるのだ」
わたしはたいして何もできないし、何も特筆すべき点もないけれど、小さなおもしろいことをみつけてくすくすするのは負けないぜって思う。

三木聡とだったらずっとくすくすしていられるなぁと思った。そのくらい、我こそはくすくす人間、として、ビビビっときた。なんてったってあほらしい。ひとに言うと「で」と一文字ですまされてしまうような、もっというと、その一文字を表す顔で追いやってしまわれるような、そんなこと。気持ちに余裕がないと、日常に余韻がないと、日記に空白がないと、くすくすしていられないことをわたしは知っている。ずうっとくすくすしていたい。くすくす人間がまわりに見つからない、と嘆くのは簡単だけれど、それは怠慢だ。だれだってくすくす心はもっている。それを忘れようとして忘れちゃったか、余りの部分がないか、くすくすの楽しみ方をしらないか、だ。わたしはくすくす人間として、くすくすの楽しみ方を、もっと言葉で伝えられるようにならなければならない。くすくす人間同士は、くすくす、という言葉だけで通じ合ってしまうが、それも怠慢だ。たとえばシーチキンのシーとチキンにくすくすしたこと。大きなボウルに液体を流し込んで大きな木べらでまぜていると、乗ったこともない井の頭公園のボートを漕いでいる気になること。◯◯し続ける人生、何が一番くすくすするかな、たとえばお米をとぎつづける人生、たとえばキャベツの芯をつぶし続ける人生、と思い浮かべてはくすくすしたこと。なんていったらこのくすくすが伝わるんだろう。悩ましい。

今日は久しぶりの友達に会えてうれしかった。大学一年生の頃。サークルに入っていたこと。なんだか遠い昔のことのようだけれど、実際にそうだけど、こんなふうに仲良くなれたのがうれしい。ひととの付き合い方が変わったかもな、と実感した。ある意味ではとってもリラックスできていたし、ある意味では、それは適当になったとも言える。ひとに怯えることも、無駄な遠慮も、すこしずつなくなっているかもしれない。いろんなものを諦めたり、いろんなものから逃げ出したりしながら、ここにたどり着いたのね、わたしは。ふうん。とっても楽ちんだけど、楽ちんだからこそ、ていねいに。忘れないように。笑ってくれると、これでいいのかと錯覚してしまうからだめね。常に精進です。

散文。今日は絶対に書き直さないことにするぞ。なんてったって眠い。

わたしをみて。考えていることを、みているものを、みて。わたしのあほでくだらない、たのしい言葉たちをみて。
いつまでたっても追いつかない。パラレルワールドみたい。
日記なんかじゃない。書いて飛ばしてはみるが、瞬く間に風に吹き飛ばされる。届かないことを知っている。今日も紙飛行機を乱暴に投げつけながら、あーあ。届かない。ってくすくすしている。

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