シャボン玉
邦画って愛おしい。
間、音楽、台詞、景色、映像、淀み、人間、においまでもが綺麗に交じり合って良い気持ち。
長ければ長いほどいい、ということは決してないけれど、長さが心地よく感じるほどの作品って、やはり自分の中に大きな存在感を残す。
北九州サーガ 3部作「Helpless」「ユリイカ」「サッド ヴァケイション」を見た。
淀みも日常となればこれほどまでに澄みきってみえるのか。
「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
方丈記で言っていたように、久しくとどまらないからこそ常に澄んで見えるんだろう。
「この世に偶然はないよ。会うべき人に、必ず会う」
こんな台詞が最近のわたしには染みるらしい。
すすめられて、すぐにみた。
すすめられても、実際にみるかどうかってひとつ壁があると思うんだけど、なんでもどんどんみたり、きいたり、吸収したいな、と、素直に生きていこうと思いました。
いつだってなにかを情熱的に話してくれる人に惹かれる。人間的に。
わたしもそんな人になりたい。なるぞ、と気合いを入れる。
というか、「サッド ヴァケイション」のラストのシーンにひとりで声を出して笑った。
こういう笑いを盛り込んじゃうところも他にはない、邦画の魅力のひとつだな、と愛おしくなった。
余韻に浸りながら、親子丼をちゃっとつくって先週の「男子ごはん」をみながら食べた。秋茄子とバルサミコ酢。つぎはこれをつくってみよう。友達にもLINEを送ってみた。ちょっと気を落としていた母に謎のエールも送った。あのひとはなにをしているかな。こんな風に、休日を過ごせることがうれしい。全然、サッド・ヴァケイションじゃないな。すぐに出かけちゃうし、出かければ良いと、充実すると、今まで思ってきたけれど、そういうわけではない。こういう休日も、わたしにとっての大切な時間だなと、ぽっ、とした。
ぽっ、という気持ちは、シャボン玉に似ている。ぷぅ、とふくらんでパッと消えて無くなる。つぎつぎに生まれては弾け、生まれては弾け。光に当たるととっても綺麗な色で、どこまでも飛んでいけそう。
すべてのつながりを知っているのは、わたしだけ。わたしだけの贅沢。
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