だから踊るんだよ、音楽の続く限り
みてもらえることがうれしい。
アルバイトのお時給があがった。たまにくるお偉いさんがあげてくれたという。たかがアルバイト、たかが派遣かもしれないけれど、純粋にどらやき売るのがたのしくて、純粋にサービス業が性にあっていて、はりきってお仕事やっていた甲斐があったなぁと。
お仕事じゃないにしても、みてもらえるのはうれしい。一生懸命書いた手紙が届くのもうれしい。みてもらえることはうれしい。
別に「博多うどん通」なわけではなかったのだけれど。博多うどんについての本を読んで、「ほうほう」となった。無性にうどんが食べたくなって、道端のお蕎麦やさんに入って、驚いたね。わたしがこれまでも、本を読んでいる時もずうっと思い浮かべていた「うどん」。紛れもない「博多うどん」やったんやなって。上京してみると、そのお蕎麦やさんの多さに驚いた。街中にも、駅ナカにも、気軽お手軽なお蕎麦やさんはあるし、ちょっとした観光地にはなんだか凛としたお蕎麦やさんがかならず立ち並んでいる。お蕎麦デートなんて、なんてシティボーイ、シティガールの遊びなの、と憧れは尽きない。いやしかしだよ、わたしが当たり前だと思っていた、あの資さんうどん、牧のうどんの佇まいやシステム、肉うどんの味がどんどん解明されていって、さらにはどんどん記憶が掘り起こされていって、なんだかよく熱量持ってここまでやったなあ、とにんまり。筆者自ら自宅で40分もうどんを茹で続ける姿なんか想像してはにやにやしちゃう。ぬるぬる、つやつやの柔らかなおいしいおうどん。はぁ、頂きたい。
地味にチェックし続けているうらない。自分で言葉にしたかった、自分でこの言葉にたどり着きたかった、と悔やみながら。でも、たどり着けなかったそれらの言葉と出会わせてくれてうれしい気持ち。射手座の同志もめちゃくちゃ言い当てられたと言っていたから、きっと射手座だけに効くうらないかもね。それとも、ただ射手座が浮かれすぎなだけ?
まぁとにかく、当たるんです。目がじゅわっとなるんです。見知らぬ人の書いた文章をこんな風に言うのは奇妙だけれど、これは、わたしの根本です。いろんな人とのことを思い浮かべながら読んでいました。いや、いろんな、程いません。わたしは結構、わたしにとってわかりやすいんですね。うらないで自然と思い浮かべたら、それは。試着室で思い浮かべるよりも、もっと祈りに近いです。そう、祈っているんです。美しい人よ、ずっと美しくあれ、と。
すこし現実的な部分で悩んでぼーっとしてしまうことが多いです。次へ次へ渡り歩いてきたから、ただただ足掻くしかできない、ただただその場駆け足しかできない、今が罪深く感じられて苦しい。みてもらえなくなる。自分すらつまらないと思っているんだもの。でも、いまはそういう時なんや。どうせ時期にまた駒のように回り出すんだから。待っていてって思う。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
いっしょに踊ろっか。いつかその光が失われるまで、たのしく踊っていよう。
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