きれいなものとの向き合い方
たまにする友達との電話やラインのやり取りが好きだ。気持ちが研ぎ澄まされていて純度100%だから。音楽を作る友達が久しぶりに新しい曲をつくって、それを聴いていた。無駄な分析や過剰な感想は不要。ただふと思ったことを端的に伝える。
「きれいなものとの向き合いかたがすごいと思う」
ふと出てきた言葉にあたしの気持ちが凝縮されていて足取りが軽くなる。曲を聴いてトリップするのはその友達が、ただきれいな海や自然や目の前のいろいろな出来事を、無表情にも身体全体で受け止め、凝視している瞬間。あの目。見てんのか見てないのか。思いに耽ってんのか無感動なのか。わかんないような、確かなような。友達のそういう部分が好きだ。そうやって積み重ねてきたすべてのものものを根拠に一粒一粒の音を積み上げていっているような気がして鼻の奥がヒュンとした。
伝わってきた。自分にとってのきれいなものを追い求めていく姿勢が、苦しさが、そしてその瞬間の楽しさが。あたしもあたしにとっての、きれいなものを探さなくちゃいけない。交差したときにきっとスパークできるものができるに違いない。その一瞬を目指して、それぞれの道を。もっと一緒にいろんなものをみたい。どうとらえ、何を見いだすのか、それぞれに目の前のものと向き合って、そしてこっそり見せ合いたい。手のなかのスパーク。きっとそれが、あたしにとってのきれいなものになっていく。
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