ダダダダッドーーーン!!!って感じ
ドレスコーズのワンマン行きたかった。数ある、というかたくさんある熱い瞬間の中の一つに毛皮のマリーズの解散ライブがある。熊本公演。熱かった。当時の日記を読み返しても熱い。人の中に残る熱さほど純粋無垢なものはないだろう。あの頃の熱を今、ドレスコーズで感じられるかどうかは別の話だし、それを求めているわけではないけれど、彼にはすごく惹きつけられるものがあって、ライブを見るたびに何かがちゃんと届くんだよな。その日その時、その場所でしか受け取れない何かを。それってすごいことで、それってすごく貴重で大切なもの。
状況だけ見ても、今まで、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTがROSSOになってThe Birthdayになって、っていうのが全て過去のものだったのに対して、今、現在そうやって変わりつつあるものに、現状に立ち会えるって、目撃できるってすごく熱いこと。
高校のときずっと思っていたけど、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとかBLANKEY JET CITYがめちゃ熱くるしいとしたら、ROSSOとかSHERBETSでちょっと落ち着くというか、水面下に少しずつ沈んでいくというか、解き放たれたうえでの自由な哀愁と浮遊感というか、を感じて若かりし頃はすこしがっかりする気持ちもあったのね。だから正直、ドレスコーズが始まる時もすこし不安だった自分がいた。でも、実際にその時に自分が遭遇するとなると全然違った。私もすこしずつ歳をとるにつれて、そういう風に自由自在にうごめいて変化していく姿がすごく自然で立体的に感じられて、良くわかるように思えてきて。毛皮のマリーズってそれに関してすごくリアルタイムなんだよな。フェーズが同じというか。常に常に更新されるし、私も彼らも今、生きてるんだなって思う。しかも彼はドレスコーズとしてのファーストで水面下に沈みはじめたと思いきや急にそのコップの中の水にスポイトでなにか一滴垂らされたように(それが一人になるっていうことだったのかもしれないけれど)すごく華やかになっていって、見ていてすごく面白い。
彼の持つ彼なりの華やかな部分っていうのは、終わりと愛があるからこそのもの。それは毛皮のマリーズの頃も含めてずっと根底に根付いているもので、当然ドレスコーズが始まった頃もそうで、だからこそ、信じられる。
人もバンドも、誰しも変わっていくし、それは当然のことで、それについてずうっと頭を悩ませていた高校時代の私はいつの間にかもうそれからは解放されていて、いいとも悪いとも思わなくなった。でも、次はそんな世の中で、信じられるものとか、手放したくないものとか、大事にしたいものっていうのが、昔よりもすごく浮き彫りになってきたのがすこしかなしい。なんでも大事だったし、なんでも好きになれた。そんなフェーズは通り越してしまったのかな。まぁそんなことはないけれど、すこしずつキュッと狭まっていくんだなって実感しつつある。
どんなことも吸収したい。どんな文脈も読み取りたい。誰かのちょっとしたこだわりに気づきたい。冒険したい。そんなときに、信じられるものがやっぱり必要になる。そんなときに、すこし立ち帰って、聴きたい音楽がある。それだけで、すごく私の人生最高だなって思う。
いろんなコンテンツがある中で、音楽が特にそう思えるのって、その人の今現在をリアルタイムでみられること。ダダダダッドーーーン!!!って感じ。勢い。その点で、やっぱりライヴっていう思い出と直でつながっている空間を持っている音楽って面白い。本だと何かな、読み終わった後の冷めやらぬ熱で感想を書きなぐったものなんかは大切な本になっていくな。結局は、立ち帰って聴きたい、もしくは読みたいって思えるものに欠かせないのは、自分がそこに持った想いを思い出せるかどうか。どれだけ強烈な、思い出せるほどの印象を残せるかどうかなんだな。
だって人々はいっこいっこ覚えてらんないほど毎日がそれぞれめまぐるしいから。わたし、奇をてらうことはしたくないけど、素で向き合って覚えてもらえる人になりたいな。素を鍛えたいな。まだまだだめだ。のみこまれてはだめだ。ダダダダッドーーーン!!!っていう性格なのに、なぜ萎縮してしまうのだろう。戦うつもりはないけれど、甘んじてはだめだ。笑ってるだけじゃだめだ。
すごく適当に吐き出しているだけの場だけど、こういうことがわたしには必要だし、こういうことをすっ飛ばしてなんでも無理やり進めようとしてもうまくいかないもんだな。ひとつひとつの選択の度に理由を律儀に考え、書き残していくのがわたしだろう、と。効率は悪くても、すっ飛ばして何も得られないよりも断然マシじゃないかと。楽しいな。あほみたいにキーボードを打つのは。ドレスコーズのライヴに行きたかったってたまらなくなってダダダダッドーーーン!!!って書き始めたけど全然思ってもなかった岸にたどり着いた。だからこそ面白い。自分のためでしかない文章って、自分しか面白くないって最高の贅沢だ。
久しぶりに聴いて胸が熱くなっている。このバンド、わたし、ちゃんとこの目で生でみれたんだって。解散ライヴも行くの迷っていたなって。急にラストアルバムをCDショップで見つけて、なぜか衝動買いをしたあの日のことを思い出す。すこしずつ記憶が鮮明になっていく。高校2年生だっけ、あの日、友達から急に言われた「遊んでばかりいられないよ」。なんかすごくかなしくて机に水溜まりつくったっけ。とんだエモガールやな(使い方違う)。そうやって『THE END』買って、聴いて考えて、この目でみたいって思って電車乗り継いでライヴに行ったなぁ。それからもう何年だろう。ここまでずっと今でも自分の中に残るバンドになるとは思ってなかったな。
音楽のどこにでも、しっかりと用意されている、終わり。それだけが頼りだった頃もあった。でもそこに、さらにいっしょに用意されている愛に気づけた時に、ちゃんと次の道が見えてくる。
愛ってなんだろう。まだよくわからないけれど、熱くて、勢いばかりで、まっすぐで、愛があって、終わりがある。それは人生そのものだし、だからこそ面白い。終わりがあるから面白い。高校生のわたしのいろんな疑問に、華やかに、派手に、純粋に、真正面から応えてくれたバンド。これってひとつのわたしの人生の答え。戦略として、頂点でぶちっとやめるっていうことを行った彼らを恨んだこともあるけれど、どんどん時が経つにつれて、してやられた、やってくれたな、と思うようになった。にやりとしてしまう。
こういうの、当時流行ったもんなってすごく冷静になってちょっと目を伏せてしまう自分も未だにいるけど、冷静になったところでなんなんだ。あほか!好きなもんは好きだろ!
ビューティフルに生きて死ぬための僕らの人生。高校時代のわたしをとんだエモガールやなってすこし引き気味に思いながら書いてたけど今も変わんないな。熱いものに出会いたい。目撃したいし次は自分がつくりたい。
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