「自暴自棄よりも早く走るしか明るい部屋はないんだよ」

11/18

大2の気持ち。自分が何をすればいいか、何をつくればいいか分からず、胸肉でチキンカツをつくって食べる。スパーク’16。2016年、取材で見たオン眉のチッチ。ストリートアートと松濤公園。そんなBiSHは2023年に解散する。

「BiSHみたいな音楽を聴いていたからあなたの原稿はあんなにパンクだったんだね」

解散を受けてBiSHを聴くようになった当時の上司がわたしに言う。FUCK and FUCK。「そんなのも作ってましたね」自分でそう言いながら自分でうける。頭の中で冊子名を復唱する。そんなものをつくっていたのか。「誰かのためのZINEをつくり続けてください」前の会社を辞めるとき、仲が良かった先輩がメッセージに書いてくれた言葉。

誰かが要因してとか、やるべきことややりたいことが関連してとか、そんな理由で聴いてきたと思っていたけれど、いつしか自分にとっての意味がちゃんと生まれていた。改札を抜ける。駅の広告に乗っている人々の名前は知らないものばかりで、今がもう2016年ではないことを実感する。京王線と小田急線と丸の内線をつなぐ通路。上京してからの10年間をつなぐようなこの通路を抜けながら、瞬く星。早く日記を打ちたくて足が勝手に駆け出していく。何かを書きたくてつい駆け出してしまうのはいつぶりだっけ。何をつくればいいかわからない、何を書けばいいか分からないことを書きたい。なんにもできることがなくてふがいなく、でもそれでいてなんでもできるような気がしているほんの束の間のあたしのことを書きたい。

もう大2ではないし、当然大2の頃につくれていたようなものはもうきっとつくれないけれど、きっと今しかできないものも必ずある。上京してまであたしは何がやりたかったんだっけ。あらためていま、なにがやりたいんだっけ。やりたいとかじゃなくてもいい。何が好きで、何に心を動かされるんだっけ。何をいいなって思うんだっけ。どんな瞬間を大切にしていきたいんだっけ。どんな気持ちを残していきたいんだっけ。

スパーク。「どこかでスパークしているってこと、みんな知ってる」 同期が言ってくれた言葉。あたしはずっと、あの頃にもらった言葉の数々にしがみついて生きている。

11/29

またしゃんとしたいなと思う。ちゃんとしたきれいなピアスをつけて、ぱりっとしたトレンチコートを着て、ほしいものを買って、自分の足で歩きたいなと思う。ひとりで新宿を歩くとたくさんの言葉が生まれて、同時に少しずつ落ち込んでいく。

ただ、崩れ切ったどこから手をつけたらいいのかわからなくて立ち尽くしている感じ。元気が出始めたと思ったらすぐに体調を崩し始めるし、ずっとこの繰り返しの中で、わたしはどこかで折り合いをつけて生きていかねばならず、それがいまはまだうまくできなくて、なにかきっかけを作り出そうと、前を向こうと必死で顔を上げている。上げているだけで足は一歩も出ていないことを知っている。知っているけどただ動けないでいる。

12/1

目の前の道をたくさんの人が流れていく。もう10年以上聴いている人のライブなのに、久しぶりに一人で出かけるというだけで、1年ぶりのライブというだけで、なんだか心細く、緊張して、会場の手前のモスで時間を潰すも気持ちが悪くなってしまう。ふと、自分のツイッターの前のアカウントを開いてみると、そこにあるのはその時々の自分の言葉で、なんとなく自分の足元が少し照らされていくような気がした。


窓から入ってくるひんやりした風と「大丈夫ですよ 心配ないですよ」の歌い出しで高校の頃からのいろんな記憶が駆け巡って、わたしがわたしらしく暮らせているいまのことを愛おしく思えてうれしくなった(2021年9月16日)

もう誰の言葉も届かないなんて思っていたけれど、小山田壮平の言葉も声もうたも音もちゃんとこころに届いてそれがとてもうれしかった。昔、新木場コーストや武道館やラママとか、いろんなところで見た小山田壮平が重なって、今ここにいる小山田壮平が尊かったし、同じように同じだけそれぞれの時間を生きてここにいる自分に驚きながらずっと泣いていた とてもよかった、来てよかった、好きでいてよかった、ずっと大切にしてきてよかった。(2021年4月7日)

やっぱり、いちばん好きだった頃の自分を超えていかないとね(2021年7月31日)


ぷくぷくと浮かんでは消えていくジンジャーエールの泡。いつかツイッターのちりぢりも自分のためにまとめ直そう。それがきっと、これからの自分の足元をまた照らしてくれるはずだから。駅とは違う方向に人がたくさん歩いていく。買ったばかりの文庫をお守りがわりにポケットに滑り込ませてモスを出る。

渋谷公会堂に響き渡った第一声は、「大丈夫ですよ 心配ないですよ」だった。何の事情も知らず、何の根拠もなく、ただそう言って欲しかったんだと思って目の前が滲んでいく。若かりし彼が叫び歌っていたあの曲を、今の彼があの頃とは違う声色と音色で歌う。変わっていて当然で、変わっていくことのなかにきらめきを見つけながらも、変わらないものも確かにあって、矛盾しているけれどそれもうれしかった。変わっていくのも、変わらないままなのも良いなと思った。どちらだっていい。今ここに、ある。それだけで、こんなにも尊い。

12月1日。師走初日にこうして集まった人たちを、彼は「親戚」と呼んでいた。それに、どこかしっくりきた。10年以上聴き続けて、たまにこうして弾き語りをひとつの機会に、それぞれの船旅の途中で再会するのはすごくいいなって。別に言葉を交わすわけでも、近況を話すわけでもないけれど、ただここに、生きて、いる。それがどれだけ尊いことなのかと。

遠い日、空を飛んだこの人は、家族をもち、柔らかく笑いながら家族の話をする。そんな彼を、大丈夫ですよ、心配ないですよって、祈るような気持ちで見送った。

12/2

ずっと行きたかった展示に行こうとノートと鉛筆をカバンに入れてコートを着た。あとは家を出るだけなのに何度も家の中をうろついて、しまいには柱の角に足の指をぶつけていくのをやめた。どこに行くのも何をするにも一人だとひどく億劫に感じられて、眉間に皺が寄ってしまう。自然とメモを開いて文章を書き連ねられるようになったのはよかったけれど。

八百屋さんに立ち寄るといちごのにおいがする。スーパーでは店員さんがお餅を陳列し始めている。わたしはまだ10月にいるのに外の空気はいつのまにか冷たく、クリスマスを通り越して年越しムードが漂い始めている。

心細い夜に読もうと決めていた、大白小蟹さんの『うみべのストーブ』を読む。ツイッターで読んで、とてもすきだった短編を紙で読めてうれしい。なんて思いながら読んでいたら、はじめて読む作品で、海の底から、ぷはーと顔を出す描写があって、おなじように、息が吸えたような気がした。いまは、わたしも自分のヒーターを抱きしめて「あ」という瞬間を。


12/5
「自暴自棄よりも早く走るしか明るい部屋はないんだよ」

思考は動いている時にしか進まない。毎日、ようやくお風呂に入っている時に、ああしたらいいかも、こうしてみようか、まだ何も考えられていないけれどとりあえずあの人に連絡してみようかとか、そういうことがたくさん思い浮かんでは、お風呂を上がると化粧水を塗り込みながら、どんどん消えていく。これは、化粧水がついたままの手で打ち込んでいる。そうしてまた次の日がやってきて、元気が出ず、夜になって、お風呂に入る、繰り返し。

踏み出さないと、ずっとつらいままなんだから。

潮見惣右介さんの『秋の歩調』を読んだ。短い散文がいくつかで、一つの記事になっていて、すごく好きだった。他の人の日記とはどこか違っていて、きっとこの人も、自分の頭の中で流れるようにずっと言葉を紡いで漂っているのだなと思った。変に面白がったり、とがったり、みせびらかしたりしない、ただ流れるままを上手に掬い取っていくような文章は、とてもやわらかく、ゆらゆらしていて、淀みない。そんな文章は安心できて、すごく良いなと思えた。


12/7
すきなドラマの続きを見た。主人公たちがしゃんとして働いていて、かっこよかった。すごくなんてなくていいから、自分にできることを仕事にして、自信を持ちたいなと思った。

数少ない友達から、生存確認の連絡。「元気か」。ありがとうすぎる。カーテンが風で揺れたり、差し込む光を感じている。

カネコアヤノ「爛漫」

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