街に舞い散った花びら踏みつぶして歩く
この時期、この時間、電車の中で聴いていると、こみあげてくるものがある。フジファブリックの『MUSIC』。
って深夜のバイト帰りに書いていた途中だった。
でも、日曜の昼下がり、いつもの大きな川を通り過ぎるあたりで聴くこの曲もまたいい。フジファブリックは、いつもすきますきまで攻めてくるスキマ産業バンドだ。
季節のスキマ。夏と冬のスキマである春秋。その季節にフジファブリックが効くことは随分前からしっていた。でも、なんというか春にもなりきれない今こそ、フジファブリックを聴くべきではなかろうかと最近はすごく思う。いや、多分今こそ春なんだろうけど。
それはちょうど、モクレンの時期。桜でも梅でもなく、モクレンが一番すきだ。咲いた!と思えばすぐに果てている、彼らがすきだ。実家の時も、今も、モクレンのすぐそばに住んでいる。住んでいるそばにいつも偶然、モクレンがある。でもそれに気づくのは、この時期だけ、この一瞬だけだ。なんだかフッといろんなものを思い出させてくれる。モクレンをモクレンだと認識し始めてもう10年近くになるけれど、いつも、毎年かならず見かけては想いを馳せるせいで、いつどこでみかけても愛おしく思える。どのモクレンも繋がっている気がする。モクレンは、そんなときを私に与えてくれる。
フジファブリックは、わたしの感情のスキマも狙ってくる。がんばりたいときと、ちょっとやなときと、たのしいときとか、いろいろ感情は揺れ動くけれど、総じて、どの感情のときでもないときこそ、フジファブリックが輝くときだ。なんでだろう。馬鹿みたいだけど、そんなときに、次の感情に導いてくれるのがフジファブリックなきがする。
スーパーセンチメンタルでありながら、スーパーファンタスティックにネチネチした感じ。君たちはどこへ向かって音楽を発信しているのかといつも疑問に思っていた。けどそれはスキマだったのかもしれない。季節と季節のスキマ。大人と子どものスキマ。学生と社会のスキマ。たのしいとむなしいのスキマ。
そういうものが全部重なって、超ピークなのがたぶん、この時期なんだろう。
わたしにとってのモクレンのように、フジファブリックの「MUSIC」は作用している。アルバム『MUSIC』の中に入っているやつ。毎年毎年、思い出させてくれてありがとう。モクレンも「MUSIC」も一瞬の出来事のようだけど、そんな一瞬がこんなにも人のこころのなかに残っているのってなんだかすごく嬉しい。
就職活動中だからか、いつのまにかいろんなことを思い出そうシリーズになっていく。自己分析が面白い。掘れば掘るほど出てくるし、掘りだしたひとつひとつのものを見せて話したい。人間関係もすべて、上京してきたときに捨てちゃったような、そのくらいの気合で生きてきたけれど、ひとつひとつのものを大切にちゃんとしまっておいたんだなって思う。わたしの大好きな心強い味方たちだ。たのしくなってきた。
来年はモクレンをみてなにを思うのかな。さっ。
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